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地理教科書の台湾の記述の変遷 上 昭和初期~30年代

地理教科書の台湾の記述の変遷 上 昭和初期~30年代

                   「台湾の声」編集部

【昭和初期】

「臺灣地方の人口は約四百六十萬人」「大部分は支那民族で、大てい西部の平地に住まつて」「内地から移住してゐるものは二十餘萬」「又土人の数は約九萬である」「この土人は多く山地に住まつてゐる。」「近頃内地人の村が多くなつて」(昭和9年尋常小學地理書)



戦前台湾は日本が統治していたので、日本国内という視点で書かれていた。いわゆるいまの日本人は「内地人」という表現を使っている。台湾の住民の大部分は支那民族で、山地には土人がいると書いている。支那民族というのは、現在中国語的表現で言うところの漢民族、ここでは土人は今言うところの原住民に相当すると考えられる。日本政府はこの時期すでに、台湾原住民を高砂族と名づけていたのだが、昭和9年の尋常小学校の地理教科書ではこの名称が使われていない。台湾人のほとんどは台湾原住民との混血なのに「大部分は支那民族」としているのは問題が多い。ホーロー人と客家人の区別にも触れられていない。当時の日本人の視点とはいえ、漢字=支那(中国)という先入観や、民族分類が大雑把すぎる印象を受ける。とはいえ、本文の台湾に関する全体の記述量はいまの地理教科書の100倍以上ある。


【昭和20年代】

戦前の日本で使われていた地名は、戦後の国境の変化や地名の変更により、大きく変わることとなった。昭和20年代の地理教科書はGHQ占領により用語が制限され、独立後も地理用語に大きな影響を与えた。


(中国の項目で)「台湾も近年かんがい施設の発達によって、米の大産地となり」(昭和26年中教出版)

「台湾は、今から400年ほど前にポルトガル人に発見され」「中国の明朝
末期にその国土となりました」「19世紀の末から20世紀の半ばまで、わが国の領土となりましたが、第二次大戦再び中国にかえされました」「高山地帯に住むわずかの先住民のほかは、ほとんど華南出身の人々によって」「政治と経済の中心は台北で」(昭和29年帝国書院)

「中華民国(台湾省) 首都 台北」「台湾は中華民国が支配している」
「日本敗戦まで50年間は日本の統治下にあり」(昭和29年東京書籍)



GHQ占領時代は、台湾についての記述が少なかった。日本国独立後は、台湾の記述量が増え、台北は中華民国の首都と記述するようになった。29年の帝国書院は「中国の明朝末期にその国土となりました」や「第二次大戦後再び中国にかえされました」という間違った記述がある。清の時代に鄭成功に占領されたから戦後中国に「かえされた」とでも言いたいのか。

敗戦後の中国に対する見方の混乱が教科書に反映されているのだろう。
「第二次大戦後中華民国に占領されました」というのが事実であり、昭和29年の東京書籍は「台湾は中華民国が支配している」と書いている。

地図帳
帝国書院「THE NEW SCHOOL ATLAS」(昭和24年)
帝国書院「中学校社会科地図」(昭和28年、29年)

昭和24年版は台湾を含め「チョンホワ(中華)民國」で、首都は「ナンキン(南京)」となっていた。この当時はまだ、国共内戦中だから、この表記は特に問題ない。ただし、厳密に言えば日本は台湾を法的にまだ放棄していない。GHQ占領時代だったため、「中華民国」に占領されているに過ぎなかった台湾が「中華民国」の一部として表記されている。

昭和28年版も同様に「チョンホワ(中華)民国」で首都「ナンキン(南京)」となっていた。これはGHQ時代の名残りで、中華人民共和国を国家と認めず、「一つの中国」の虚構を維持している地図表記である。

昭和29年版は、地図表記を現実に立って改善している。「中国」と地図上で書き、さらにカッコで「(中華人民共和国)」「(中華民国)」と書いている。


【昭和30年代】

「この本で使う国名 中国(中共) 正式国名 中華人民共和国」「中国(台湾)正式国名 中華民国」「台湾は、中華民国政府が治めていて、一つの独立国となっている」「住民は福建、広東から移住した中国人が多く」(昭和31年教育出版)

「中国本土は中華人民共和国、台湾は中華民国となっている」「古く高砂族が住み」「華南地方から漢族の移住するものが多く」「内戦の結果、中華民国政府がここにうつり」「首府台北」(昭和31年帝国書院)

「国名 中華民国(台湾) 首都 タイペイ(台北)」「よく開かれた台湾(中華民国)」「五十年間、日本の領土として開発されてきた」
(昭和37年中教出版)

「中華民国(台湾)」「50年間日本が治めていた台湾は」「戦後、中華民国の領土となった」「中華人民共和国ができてから、中華民国の政府が台湾にうつった」「タイペイ(台北)が首都となっている」
(昭和39年東京書籍)



昭和30年代の教科書はいずれも台湾を中華民国という独立国家扱いしている。しかし、台湾人(本省人)と中国人(外省人)の区別がついておらず、31年教育出版は「住民は福建、広東方面から移住した中国人が多く」と書いている。これは中国人=支那人=漢民族という概念で書かれたものなのだろう。帝国書院は「華南地方から漢族の移住するものが多く」となっている。

昭和20年代は「第二次大戦後再び中国にかえされました」と書いていた帝国書院は記述が変わり、「内戦の結果、中華民国政府がここにうつり」と、中華人民共和国の成立によって中国が分裂したため、より具体的に書くようになった。また、東京書籍は「台湾は中華民国が支配している」から「戦後、中華民国の領土となった」と中華民国に配慮してか「占領」のニュアンスを薄める記述が変わった。一方、「中華人民共和国ができてから、中華民国政府が台湾にうつった」と、中華民国が台湾に移ってきた事実が書かれ「二つの中国」という考え方が教科書に現れている。(この時代、中華民国は「一つの中国」を主張していた)


地図帳

帝国書院「中学校社会科地図」の昭和31年度版は、事実の通り「中華人民共和国」、首都「ペキン(北京)」、「中華民国」、首都「タイペイ(台北)」と書いている。この表記は、昭和47年まで続く。

国別の統計では、昭和38年度版で「国名 中華人民共和国 首府 ペキン 面積 9561(千km2)」「国名 中華民国 首府 タイペイ 面積 36(千km2)」となっていた。


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