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阿貴(アークエイ)。かくすればかくなることと知りながら、やむにやまれぬ大和魂。

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青森李登輝友の会ブログ

日本李登輝友の会の青森県支部です。略して「青森李登輝友の会」です。 皆様宜しくお願い申しあげます。

現地で見た高砂義勇隊記念碑問題 台湾研究フォーラム会長 永山英樹 (転載)

現地で見た高砂義勇隊記念碑問題
外省人の「親日派」攻撃が物語るもの


                 台湾研究フォーラム会長 永山英樹


■台湾人の親日に対する外省人の懲罰

台湾では終戦後から今日に至るまで、「反日」と「親日」の対立がある。大雑把に言えば、それは「外省人」と呼ばれる在台中国人と台湾人との文化対立である。

国民党の中国人化政策のなかで、台湾人は親日ではなく反日を選べるかどうか、つまり日本の文化的影響を払拭し、中国文化を世界最高のものとして捧持できるかどうかが問われてきたのだ。
そして台湾人の多くは、中国人が求めるほどの反日にはなり得なかった。もちろんそのような台湾人のすべてが親日感情を抱いているわけではない。しかし中国人からすれば、反日の中華民族主義を受け入れられない台湾人は、やはり憎むべき親日派に見える。
そしてそこにおいて、「反日対親日」と言う対立図式は、「中国派(統一派)対台湾(独立派)」と言うものに飛躍する。もちろんそれは外省人が勝手に飛躍させたものだが、意外とそれは現実によく適っている。

台湾の親日の象徴とも言えるものに高砂義勇隊英霊記念碑がある。これは平成初年の建立以来、台北県ウライ(烏来)郷にひっそりと佇んでいた。「ひっそりと」と言うのは、日本人には大分知られるようにはなったものの、台湾人にはほとんど知られてこなかったからだ。そもそも台湾人の多くは中国人化教育の影響で、中国の敵だった日本軍の高砂義勇隊なるものに関心を寄せる機会は与えられなかった。それだけにこの碑が大勢の日本人の寄付金で移設され、そして今年2月8日、李登輝前総統をはじめ台湾人の要人が臨席して除幕式が厳粛に執り行われたことには、この国の戦後思想史から見れば、画期的な意義があるのではないだろうか。

その後16日、記念碑の前で門脇朝秀会長のあけぼの会と、現地で記念碑を管理する高砂義勇隊記念協会(タイヤル族)が、あらためて拝礼式を行った。私もあけぼの会に同行し、それに参列した。今年92歳になる門脇氏は、戦後数十年にわたって原住民と交流を行ってきた人だ。台湾全土の原住民の村を歩いて回り、日本人と原住民との心の絆を繋ぎとめるとともに、両者の新たな交流の道を切り開いてきた。だから原住民への精神的な影響力は絶大で、この記念碑の創設や移設にも、裏側で大きく関わっている。今回私が同行した目的には、単に式典の参列だけでなく、門脇氏の交流の心構えの一端を学ぶこともあった。

式典終了後、記念協会の人々とともに門脇氏を囲んでの食事会があった。記念協会側は「建立の申請では苦労したが、これで記念碑は安泰だ」と、本当にほっとした様子だった。記念碑の移設先は県の管理する瀑布公園であるため、移設に先立ち煩雑な申請手続きでてんやわんやとなっていたのだ。あけぼの会の側も「よかった、よかった」とその苦労をねぎらった。だがその喜びもつかの間、翌17日に突如として持ち上がったのが記念碑の撤去問題だった。これは一言で言えば、台湾人の親日に対する、反日外省人の不条理な懲罰以外の何物でもない。そこで
この件に関し、私が台湾滞在中に見聞きしたことを報告したい。

■(2月17日)発端となった感情的悪意報道

早朝、台北市内のホテルにいた門脇氏に、政府が経営する原住民テレビが緊急取材を申し込んできた。統一派の日刊紙『中国時報』が記念碑に関する批判記事を掲載し、これを受けマスコミ各社がこの問題で動き出しており、この原住民向けのテレビ局も報道を行いたいのだと言う。

そこで私はまず同紙を購入すると、それには1面トップで「日本が烏来公園を占領」「高砂記念碑に日章旗が」と言った見出しが書かれていた。記事の主旨は「記念碑の周りには日章旗が立ち並び、碑文も日本語で、さらには天皇への忠誠を讃える軍国主義的な碑が立ち並び、台湾でありながら、日本にいるかのようで、時空錯乱だ」と言った感情的なものだった。更に3面でもこの問題で全頁を費やすと言う騒ぎようである。どうも義勇隊の武勲を讃えるため、日本人が奉納した日本語の歌碑などが、軍国主義復活を目論むものだと強調したいらしい。日本の
国旗、日本の国歌(碑前には日本人が奉納した「さざれ石」が安置され、そこに「君が代」の解説がなされている)、日本語の文章があるのは「日本化」であってけしからんとする、反日意識に基づく完全な感情論だ。この報道を読んだ中華愛国主義の外省人団体が記念碑を破壊しには行かないかと心配になってきた。こうした勢力は、よく反台や反日の抗議運動で乱闘騒ぎを引き起こすことで知られ、日本のテレビニュースでもお馴染みのはずだ。

やがて原住民テレビの記者とカメラマン(ともに若い原住民)がやってきた。そこで彼等に、なぜ『中国時報』が騒ぐのかと聞くと、「李登輝氏が除幕式に参列したからかも知れない。外省人は李登輝氏の批判をしたがっている」と言っていた。彼らが門脇氏に求めて来たのは、原住民に関心を持つ日本人としてのこの問題に関するコメントだった。そして数時間後、インタビューの模様がニュースで流れた。そこではまず「台湾の人が批判することには、強い不満を感じるものの、それは皆さんの勝手だ。だが台湾人はどうあれ、高砂族英霊を慰霊することは、日本人の義務なのだ」「台湾人は正しく歴史を見るべきだ」と静かに語る門脇氏が映し出された。次いで鈴木昭子氏(あけぼの会会員)が、負傷した日本人の隊長を一ヶ月間背負って山中を走り回ったと言う義勇隊員の感動的エピソードを、その隊員から直接聞いた話として紹介し、なぜ日本人が義勇隊に敬意を抱いているかを説明した。

私たちはこのニュースを数名の原住民とともに見ていた。彼らによると、「この番組は大勢の原住民が見ている。日本人の原住民に対する真心ははっきり伝わっただろう」と言う。ちなみに私はカメラの前で、「軍国主義の復活を願う日本人は一人もいない」として、『中国時報』の記事の誤りを指摘したのだが、それはカットされていた。それについてある原住民は、「批判めいた話は取り除いたのではないか」と分析した。「外省人を刺激しないため、恐る恐るの報道のようだ」との声も聞こえた。もしそれが事実なら、原住民を含む台湾人にとって「親日」報道は、やはり危険なものとされているのだろう。それならば真実を追究しようとした同局の勇気に敬意を表さなければならない。

この日、統一派のテレビ局は、『中国時報』の記事とほぼ同じ内容のニュースを盛んに流していた。もちろん「義勇隊の魂を返せ」と叫んで小泉首相と靖国神社を訴えた、かの高金素梅も登場しないわけがなかった。彼女は記念碑の下まで飛んで行き、日本語の碑文の「証拠写真」を懸命に撮影していた。そのときの彼女のコメントは注目に値する。それは「義勇隊員の心は理解する。しかし祀り方に問題がある」と言うものだ。これまで「義勇隊は日本に強制連行され、苦しめられた」と叫んで来た彼女だが、ここでは日章旗の下で日本人として戦った義勇隊の気持ちは理解できると言ったわけだ。おそらく義勇隊を顕彰する原住民有権者への配慮から、この日は敢えて歴史捏造を控えたのだろう。

一方、本土派のフォルモサテレビ(民視)は討論番組で識者を集め、この問題を取り上げた。司会者は「義勇隊は当時日本人だったのだから、日章旗が掲げられようと、何の問題もない」と言う方向に議論を誘導しようとしていた。その中で一人の外省人学者が、「記念碑建立は政党の活動だ」として、嬉々として台湾団結連盟や民進党を罵っていたが、それに対する黄昭堂・台独連盟主席の、「政党は関係していない。純粋な慰霊施設だ」の一言で、沈黙する以外になくなった。理性ある台湾人と、それがない外省人の差が歴然となっていた。

■(2月18日)騒動後に案出された撤去命令の理由

この日、私たちは宜蘭県の原住民の村に滞在していた。早朝、早速日刊各紙を買い集めたところ、どれも記念碑問題を大々的に報道していた。それらによると『中国時報』の報道があった17日、ウライ郷や土地を提供した台北県は大騒ぎになった模様だ。

まずウライ郷公所(役場)には、「大変な皇民化だ」と言った抗議の電話が鳴り止まず、郷長は「この事件と郷公所は一切関係ない。誤解しないでくれ」と必死に懇願したと言う。明らかに外省人団体による非難攻撃が始まったのだ。

では記念碑に土地を提供した台北県の対応はどうか。県政は昨年12月の県長(県知事)選挙で、国民党が握っており、早速反日報道に呼応するような動きを見せた。二人の副県長が直ちに会議を行い(県長は外遊中で不在)、許可をしたのは民進党の蘇貞昌県長時代のことであり、現在の周錫[王韋]県長(外省人)の責任ではないことを強調しつつ、不当な記念碑の移設を許可したことに関して謝罪を行い、責任者を処罰し、そして記念碑を撤去させる方針を発表したのだ。そこまで行う理由はなぜかと言えば、ただ単にウライの「日本化」だけなのだから、これほど馬鹿げたことはない。

そしてその後、県は更に撤去の理由を「案出」した。建設局長は17日の夜になって初めて、「記念協会による建碑申請に不備あり」と言い出したのである。つまり環境保全の基準に関する審査申請が欠けた違法建築だと言うのだ。そしてこの18日、県は記念協会に「一週間以内(2月24日まで)に記念碑を撤去せよ」との公文書を発した。

これを受け記念協会では当然のことながら、「不備があったなら、どうしてそれを許可する前に教えてくれなかったのか。こちらは規定どおりの申請をすべて行っているのに」との声が上がったが、どうしようもない。なにしろこれは明らかに県の悪意であり、謀略なのである。どう見ても申請手続き上の非は県の側にあるのだが、そのような理屈など外省人には通用しない。

この日の『中国時報』は社説の隣で論評を掲げ、「高砂義勇隊員の一人一人はたしかに勇者だが、それと同時に残忍で醜い侵略戦争の犠牲者だ」として上で、「戦争記念碑とは犠牲者を哀悼するもの。かつて彼らを殺した殖民地国からの寄付金で建てた記念碑など、殖民地統治者よりももっと冷血だ」と、日本人の善意を徹底的に踏みにじる非難を行っている。

他方、本土派の『自由時報』は、前日の『中国時報』が日章旗を批判したことに対し、「あれは日本の国旗ではない。義勇隊の軍旗だ」と反論を行った。実際に現地で翻っていたのは、時の台湾総督である長谷川清海軍大将が、日章旗に「高砂挺身報国隊」(第一次義勇隊の名称)と書いて贈った部隊旗の複製だった。また同紙は、「記念碑は郷内の原住民の栄誉だ。決して媚日ではない。歴史は歴史として見、過剰反応はやめて欲しい」とのウライ郷長の訴えを載せた。

このように書くと、本土派と統一派と言う各紙の論調は真っ向から対立しているようだが、実際には統一派の報道でも、「媚日だ」と批判をする勢力の意見の他には、「義勇隊の英霊は名誉だ」「政治ではなく歴史の話だ」とする原住民の意見、「政治問題化してはいけない。日本人は感謝しているのだ」とする日本人の意見、そしてそれらを裏付けるかのような高砂義勇隊に関する正確な戦史を詳述しているのである。おそらく民主化時代である今日の台湾では、かつてのような事実無根のヒステリックな反日記事だけでは、国民には簡単に通用しなくなっているのだろう。そのあたりは中国や韓国などとは異なっている。

だからあるウライの住民は私に、「嬉しいことも一つある。それは義勇隊がクローズアップされたことで、平地の人(原住民以外の台湾人)もようやくその歴史に関心を持ってくれたことだ」と語っていた。

なお報道によると、ウライでは記念碑が日本人観光客を誘致することに期待しているらしい。政治的な反日活動で、そのような大切な観光資源を破壊していいのか、との見方も出されている。つまり「外省人は冷静になれ」と言うことだ。

■(2月19日午前)外省人との邂逅―台湾社会をも左右する反日心理

宜蘭県からひとり台北に戻った私は午前、現地の状況を知るべく、再び烏来へと向かった。途中で日刊各紙を買い込んだところ、『自由時報』だけがこの問題を報道していた。それによると、記念協会の関係者たちは県に対し、原住民の意思を尊重して撤去取り止めるよう陳情する意向だと言う。「原住民の意思を尊重しろ」は、撤去反対派に共通した主張である。事実、メディアや県の統一派は、反日の情念で興奮するばかりで、先人の顕彰と慰霊と言う原住民の純粋な思いを無視している。そこで一部のウライの原住民は、「県が撤去を強行するなら、原住民に呼びかけて、反対抗争を行うかもしれない」と語ったと言う。そもそも一週
間以内での撤去など、物理的にも不可能である。だからそのような命令は、どうしても親日派への懲罰としか感じられないのである。このような外省人の横暴なやり口は、基本的には白色テロ時代とそう変っていないことがわかる。

また同紙によると、元日本兵の台湾人たちが前日、記念碑を訪れ、「県長が民進党から国民党に変った途端、県は歴史を尊重しなくなった。撤去するなら元日本兵を動員して原住民に協力する」と話していたらしい。また現地では大勢の台湾人や日本人の観光客も訪れ、記念協会の人々による歴史の解説に熱心に耳を傾けていたと言う。

ウライに到着すると、記念協会の人たちは対応策に追われて、話をするどころではなかった。記念碑の完成で大喜びしていた三日前の彼らの姿を思えば、本当に気の毒になった。

その後ひとりで山道を登り、記念碑に向かった。途中、観光に来た若い台湾人カップルが、「メディアが盛んに報道していた」などと、記念碑を話題にしているのが聞こえたから、やはり関心は高まっているようだ。記念碑に向かうらしい日本人客もちらほら見かけた。

記念碑に到着すると、問題になった「日章旗」はすでに外され、何とも寂しい光景となっていた。拝礼をしたあと、やはり問題になっている日本語の歌碑に目を向けると、その前で二人の年輩の外省人が大きな声でわめいていた。そこでは一人の台湾人が、心無い者に泥で汚された歌碑を黙々と磨いており、それを彼らはからかっていたのだ。言葉の訛からして、中国から渡って来た元中国兵らしい。彼らがなぜこんな山の中にいるかと言うと、それはやはり愛国団体か何かに動員されたからに違いない。

一方その台湾人はティッシュに唾を付けながら懸命に泥を拭っていた。そこで私もタオルを取り出し、一緒になって拭った。冒涜される英霊への申し訳なさや、黙って碑を磨く台湾人の心のありがたさなどで涙が込み上げて来た。磨き終わるとその台湾人は私に、英語で「ありがとう」とささやいた。

そのとき外省人は私に、「小便をかけて磨け」と挑撥した。しかしどうせ虫けらのような連中である。私は無視してその場を離れようとすると、彼らは日本人が怒って向かって来たと思ったらしく、たちまち恐怖で顔を引きつらせた。一人はすぐに愛想笑いを浮かべ、媚びの態度を示したものの、もう一人はなおも唾を吐き付けて来るなど、挑撥をやめなかった。すでに70歳は超えているようだが、度胸があると言うより、興奮で後先を見ないと言う感じだった。それは理性のかけらも感じられないちょっとした狂気であって、中国ではよく見かける「愚民」と何ら変りはなかった。

台湾の文明社会には、このような「愚民」の群れがなお存在し、一つの世論を形成して国政をも左右しているのだ。彼ら中華の愛国主義者は国民党など統一派勢力の重要な支持基盤になっているのである。統一派メディアは彼らの応援者だから、反理性的な「愛国行為」は社会で淘汰されることはあっても、制裁を受けることはそうない。『中国時報』の記事にしても、こうした「愚民」を煽動する目的で書かれたようなものだ。

■(2月19日午後)台北県長の冷酷な反日憎悪感情

この日午前に外遊先から帰国した周県長が、午後になって烏来に現われたことがテレビニュースで大きく報道された。周は40代後半で、外省人政治家の若手リーダーの一人だ。もともと親民党の国会議員だったが、昨年12月の台北県長選挙に出馬するため、宋楚瑜を裏切って国民党に鞍替えし、当選したと言う男だ。冷淡な印象の強面の人物で、やはり台湾人とは雰囲気が違う。

報道によると、彼が記念碑前に到着すると、一人の日本の婦人が歩み寄り、「こんにちは。私は日本人です」と言って陳情を行おうとすると、「日本語はわからない」と言って無視した。次いで若い日本人が中国語で、「この記念碑は歴史文化の遺産です。政治とは関係ありません」と叫ぶと、彼はそれを日本人の挑撥と受け止め、怒りが込み上げたらしい。直ちにメディアに対して「騒いではならない。ここは日本の領土ではなく、中華民国台湾省台北県の領土だ。原住民は中華民国台湾省台北県の原住民であるべきだ。日本の軍夫であってはならない」(義勇隊は軍夫だった)と苛立ちの表情で語った。また「戦争の悲劇を齎した日本は謝罪と賠償を行うべきだ」とも述べた。8日の除幕式に李登輝前総統が参列したことに関しては、李氏が慰安婦問題や尖閣問題で、日本に対して「軟弱」であることまでなじりながら、「国民のために発言するべきだ」と非難した。だがそれは自分自身に対して言う言葉だろう。ちなみに8日の序幕式には、周も県長として招待状を受け、出席の返事を出していたのだが、直前になって取り止めている。

周は記念協会に対し、「一週間以内に撤去しろ。さもなければ強制撤去だ」と指示した。もはや陳情などを行っても、取り付く島はないのである。魂の籠る記念碑を軽々しく撤去するなど、決して許されるわけがないのだが、しかし「敵」の魂が籠っていればいるほど、破壊したくなるのが中国人と言うものである。周に同行していた簡福源・同協会会長は沈痛な面持ちで、記念碑を守り抜く決意をメディアに語った。私は反日感情を高ぶらせる周の怒りの表情に、午前中に出合った年輩の外省人とまったく同じものを見て取った。もはや理屈ではない。彼は台湾人の親日を絶対に許すことができないのだ。

台北県では、国民党の執政が行われ出した途端、こような思想統制、思想弾圧と言うべき横暴な反日行政が行われるのである。今後もし外省人の総統まで現れたら、この国はいったいどのような状況に陥るのだろうか。少なくとも全国各地で、親日か反日かを測る踏み絵がさまざまな形で、強力な政治的圧力の下で行われることだろう。もちろんここで言う「反日」は、すなわち「反台」でもある。

なお記念碑の移設を許可した責任者は、当時の蘇貞昌県長(現・行政院長=首相)だが、彼は「自分は関係ない」とばかりに逃げているらしい。また民進党は国民党の現職県長の責任だと主張している。だが民進党は堂々と、「このようなことで大騒ぎするのは間違いだ」と訴えるべきなのだ。そうすれば原住民や台湾人の支持をも勝ち取れるのはずであるし、そもそも民主主義を守るとは、そう言うことなのだ。ところが同党が国民党の反日旋風にいつも手も足も出ないのは、やはり戦後の中国人化教育の影響だろう。親日か反日かで騒ぐのは、単なる中国人の偏狭な民族主義である。そのようなものを克服できない民進党は、今後国民
党の横暴にどれほど対抗できるのだろうか。

記念碑の問題は、歴史認識の問題と言うより、台湾人と外省人との文化的対立と言う根幹の問題になっているように感じてならない。次の総統選挙と言う熾烈な「民族」決戦に向けての、一つの前哨戦ではないかとすら思う。今回の一件で私が目撃したものは、外省人の反日と言う情念だ。そしてその憎悪心は、日本に向けられる以前にまず、反日に徹することのできない台湾人に向けられていると言うことだ。中国人の政治伝統から見てわかるのは、もし彼らが台湾を統治するなら、そこで必ず行われるのは、台湾人の思想改造である。親日感情を根絶やしにし、再び中国人化政策を遂行しようとするだろう。だから台湾人は、断固として
記念碑を守るべきなのだ。これが台湾人の精神的な砦となっていること知るべきである。

日本人もまた、この問題には関心を持たなくてはならない。なぜならば日本に殉じた台湾の英霊に感謝の気持ちを捧げるべきであることは、門脇氏の言葉を俟つまでもなく、ごくごく当たり前のことだからである。そしてそれとともに、地政学の観点からもその動向を注視するべきである。台湾が親日国家であり続けるか、あるいは反日国家に転じるかで、日本の安全保障は決定的な影響を受けるからだ。台湾は台湾人の国である。決してそこが中国人の国とならないよう、高砂義勇隊の英霊のご加護を祈らずにはいられない。

■補足―台湾人は外省人の脅迫に立ち向かえるか

なお19日、ウライを離れた私は、台北市内で行われた『二二八事件責任帰属研究報告』の発刊記念会へ行った。これは民進党政権サイドからの研究報告書で、蒋介石などが二二八事件の「元凶」であることを究明した内容だ。会場では陳水扁総統もスピーチを行い、メディアの注目を集めていた。なぜならこの本の刊行は、台湾人の外省人への強烈な挑戦にあたるからだ。もちろん蒋介石の家臣である国民党などの外省人は、これに震撼した。蒋介石の孫である章孝厳などは、「歴史を捏造した台独の主張だ。民族感情を破壊しようとしている」などとして、執筆者に三日以内での謝罪を要求し、それを拒否すれば50億元の損害賠償を求める訴訟を行うと息巻いている。この50億元とは、執筆者が国民党が賠償金として支払うべきものとして提示したものと同額だから、呆れてものも言えない。これは明らかに台湾人に対する脅迫である。ウライの一件でもわかるように、何もかも脅迫で通そうとする統一派は、司法への脅迫をも厭わない。そしてこのような脅迫に、民主化以降も台湾人は、民進党政権以下がさんざん振り回されてきたのだ。今後の台湾人と外省人との「戦い」の行方が注目される。(18.2.21)



 
『台湾の声』http://www.emaga.com/info/3407.html『台湾の声』バックナンバー http://taj.taiwan.ne.jp/koe/『日本之声』http://groups.yahoo.com/group/nihonnokoe Big5漢文

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