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阿貴(アークエイ)。かくすればかくなることと知りながら、やむにやまれぬ大和魂。

Author:阿貴(アークエイ)。かくすればかくなることと知りながら、やむにやまれぬ大和魂。
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青森李登輝友の会ブログ

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【講演録】日本の鏡・台湾 林 建良(りん けんりょう)

■■■■■■■■■ JOG Wing ■ 国際派日本人の情報ファイル ■

【講演録】日本の鏡・台湾
-独立自尊の意味するところ(1)

林 建良(りん けんりょう)
■ No.954 ■ H17.03.14 ■ 7,431部 ■■■■■■■■■■■■■

雑誌「北の発言者」三月号より転載
2005年1月12日九段会館
主催 「思邦会」(主宰 西部 邁 秀明大学学頭)

西部 邁 

 今日は「日本の鏡・台湾」という題目で林建良先生に講演し
て頂きます。林先生は台湾から来られて東京大学の医学部大学
院を修了され、今は栃木県の病院でお医者さんをやっておられ
る。と同時にというか、それ以上に林先生が著名なのは台湾の
独立運動の闘士としてでありまして、特に李登輝先生のいわば
懐刀として、独立運動の日本本部国際部長の立場にあられる。
台湾独立運動といっても色々と幅のある運動なんでしょうが、
そのなかでも過激……と言っては失礼でありますが(笑)、もっ
とも一貫した言動をなさっている方だと聞き及んでおります。

 私が今日、先生をお呼びしたについては、「日本の鏡・台湾」
というところに意味を込めたつもりです。

 ちょうど戦後六十年になりますけれど、日本はサンフランシ
スコ講和条約で独立したと言いながら、実質上その独立は形骸
と化しておって、アメリカの属国と言われても詮無いような姿
を徐々に強めているぐらいの状況です。

 そして台湾はというと、国際社会は強かれ弱かれ「一つの中
国」台湾は中国のものであると公に認めていて、今のアメリカ
のように、台湾は中国のものだけれども現状変更は好ましくな
い、といった現状追認が精一杯である。

「アメリカと日本」「中国と台湾」というのは、ほぼ相似の関
係におかれていると言えるのではないか。もちろん台湾のこと
それ自体にも小さくない関心があるわけですが、特に日本のこ
とを考えたときに、その関心は強まりこそ弱まることはないわ
けです。

林 建良

●台湾人は漢民族ではない

 私は学者でもなく政治家でもありません。独立建国運動に参
加する一人の台湾人としてここに参りました。もし皆さんが格
調高い知見や客観的な評論を期待されていたらがっかりすると
思いますので(笑)、あらかじめご承知ください。

 台湾という国を、日本の皆さんは知っているようで知らない。
多くの日本人が、どうせ中国と同じ民族なんだから仲良くやれ
ばいいじゃないか、と言われる。一般の日本人ばかりではなく、
台湾について勉強している学者・研究者でさえ、そういうこと
を言います。つまり台湾人は、二%の原住民、一三%の外省人
(つまり蒋介石と一緒に台湾にやってきた人間)、残り八五%
の本省人(戦前に台湾に移住してきた人間)で、要するに九八
%はもともと漢民族ではないかと。

 これは、かなりの誤解なんです。ほとんどの日本人が、台湾
人は漢民族であると考えている。何より我々、戦後の台湾人も
そのような教育を受けてきた。お前たちはもともと中国人なん
だと。

 台湾という国が歴史のなかに出てきたのはつい最近で、十七
世紀になってからです。ではそれ以前、台湾にはほんの一握り
の人間しか存在していなかったか。そうではありません。台湾
が歴史に登場したのは一六二四年で、オランダがアジアとの貿
易をするうえでの中継点としてでした。ご承知の通り当時のオ
ランダは、非常に航海技術が優れていて、貿易が盛んだった。
今の会社の原型といわれる東インド会社も彼らによってつくら
れた。当時の彼らは、西洋のものを日本や中国に売り、あるい
は東洋のものをヨーロッパに売ったりしていた。オランダはそ
の中継点として、台湾と中国のあいだにある小さなZ型の島で
大きさは新潟県の佐渡島の約五分の一ぐらいの澎湖島という島
を選んだ。当時の明朝はその島をめぐってオランダ軍と戦い、
結局は和解したわけですが、明朝の条件としては、澎湖島は返
してもらう、その代わりに台湾をあげるからというものでした。
台湾は中国にとって、そのくらい無用なものだった。そして一
六二四年、オランダ人が台湾を統治することになった。それが
台湾人の体験した初めての国家としての権力であったわけです。

 当時の台湾の人口は五〇万でした。つい十年前まで、台湾で
は原住民のことを山胞つまり山に住んでいる民族と呼んでいま
したが、確かに三分の二は山でも三分の一は平野です。住みや
すい平野に人が住まなくて山にばかり住んでいるなんていうお
かしなことはない。当時の台湾人のうち二〇万は山に、三〇万
は平野に住んでいた。ちなみに当時の台湾でいちばんの資源は
鹿でした。台湾産の鹿の皮がとっても綺麗だったので、日本の
武士は兜のお飾りにしていたわけです。

 オランダ人は台湾を統治するために、中国から労働者を輸入
します。その数は七~八〇〇〇人。五〇万のなかの八〇〇〇で
す。

 鄭成功が清に負けて台湾に逃げてきたのが一六六一年ですか
ら、オランダの統治は三十八年間つづきました。今、台湾人が
中国人の子孫であり後裔であるという根拠は、鄭成功がたくさ
んの中国人を連れて海を渡ったというところに求められている。
しかし一六六一年の台湾の人口は六二万であり、中国からやっ
てきた鄭成功一族と彼の軍隊はそのなかのたった三万人なんで
す。

 その一族が二十二年間台湾を統治して、清朝に滅ぼされた。
当時の台湾の人口は七二万で、そのとき清朝が連れてきた軍隊
はほんの数千人です。なぜ中国人が台湾に行きたがらないかと
いうと、当時の台湾は瘴癘[しょうれい]の地だった。瘴癘と
は風土病のことで、マラリアをはじめ猩紅熱、腸チフス、百日
咳……ありとあらゆる伝染病が台湾に蔓延していた。外部から
やってきた人間は、当時の中国の諺として「台湾に十人行けば
七人死んで一人逃げ帰る。残るのはせいぜい二人」というのが
あったほどです。

 実際、清朝は二〇〇年のあいだ台湾を統治するわけですが、
その間、統治者は三年交替だった。三年交替の統治者で生きて
中国に帰れたのはほんの数人、十人を超えていないんですよ。
もちろん統治者としてやって来るわけですから、いちばん良い
食事、いちばん良い環境、いちばん良い住まい、つまりいちば
ん良い衛生状況のはずです。その彼らがほとんど台湾で死んで
しまうくらい、台湾の風土病は怖かった。

 そして一八九五年に日本が台湾を領土にしたときの人口二五
〇万のうち清朝の人間は、ほとんど中国に引き揚げた。だから、
我々が漢民族であるということは間違っています。

 清は、いろんな階級に分けて台湾人を統治しました。漢人つ
まり漢民族しか苗字を持っておらず、原住民のことは、野蛮人
を指す「蕃」を使って生蕃・熟蕃と呼んだ。この戸籍制度は、
日本の統治時代まで使っていましたが、熟蕃というのは漢民族
と一緒に住んでいる、人を殺さない野蛮人を指す。山に住んで
いる台湾人は首を狩るんです。そのことを我々は出草といいま
す。自分が一人前の男であることの証明として人の首を狩り、
狩った首はお飾りとして自分の家の前に並べておく。この首の
数が多ければ多いほど立派な男ということになる。私のなかで
ときどき血が騒ぐのは、その遺伝子のせいかも知れません(笑)。

 生蕃には重税が課せられ、熟蕃はやや軽い。漢人はいちばん
軽い。そうすると、熟蕃は競って漢人になろうとする。当時の
清朝としても、じゃあ、あなたの名前は林にしましょう、あな
たは王にしましょうと苗字を与えた。もともと苗字のない人間
が苗字をもらって漢民族になろうとしたわけです。生蕃もでき
るだけ熟蕃になろうとした。ですから台湾人は漢民族であると
いうのはつくられた虚像で、要は統治者の都合でそうなったわ
けです。

 台湾人の人口は、一六二四年の五〇万から一九四五年にはざっ
と六〇〇万になりました。環境などを考慮すると、その成長率
は非常に合理的な数字です。清朝統治の二〇〇年間には、台湾
に渡るなという禁止令があって、それは台湾が非常に長いこと
海賊の巣になっていたのて、人が増えることは好ましくなかっ
たからです。できるだけ台湾に渡らせないようにしようという
のが清の姿勢だった。日本が接収した当時の人口は二五〇万で、
もちろん日本統治の五〇年間に中国から台湾に移住してきた中
国人はほとんどいなかった。正常な人口の成長で、五十年間で
六〇〇万になったんです。一九四五年に台湾から引き揚げた日
本人が四〇万いますから総数として六四〇万ということになり
ます。そのなかにもし中国人がいたとしても、ほんの少数です。
統計的にもそうだし、台湾の馬偕記念病院の血液学の教授、林
媽利先生が、人間のリンパ球の遺伝子を調べて、台湾人と漢民
族の遺伝子がまるっきり違うことを証明しています。台湾人は
漢民族ではないのです。

(続く)


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私の記事読んでくださってありがとう。
こちらの記事はワタクシのような無知なものにもとても勉強になります。

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