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阿貴(アークエイ)。かくすればかくなることと知りながら、やむにやまれぬ大和魂。

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許昭栄さんー不屈の台湾精神/台湾で今も続く戦後

許昭栄さんー不屈の台湾精神/台湾で今も続く戦後

英霊奉賛日台交流会
事務局長 福村良治

平成17年6月22日

 日本海軍に雪風と言う駆逐艦があった。多くの激烈なる海戦に参加したが、強運で終 戦まで撃沈を免れた艦である。戦後、中華民国海軍に引き渡され丹陽と命名され、名前が変わる。

台湾の高雄市に許昭栄さんと言う方がおられる。一時、この丹陽の機関兵をされていた方だ。現在は、バシー海峡で海没した帝国陸海軍将兵20万余を祀る、猫鼻頭の潮音寺の維持活動に現地で粉骨砕身の協力をしてくれている方である。また、高雄市の旗津で、台湾老兵世界平和祈願公園の建設を目指している方である。そして、台湾籍老兵の台湾への帰国、遺族、留守家族に対する補償問題に取り組む全国元国府軍台籍老兵及び遺族協会創会の理事長をしておられる。

許昭栄さんは、昭和3年(1928年)生まれ、旧大日本帝国海軍台湾特別志願兵で昭和20年(1945年)には特攻機桜花の出撃作業をしていた。

昭和20年の日本の敗戦により、台湾に進駐した国民党軍は「老人も子供もいる32師団」と言われるように、大陸では、兵役制度ではなく、拉丁と呼ばれる壮丁を拉致して軍に編入す方法が一般的だった。昭和22年228事件以前は、まだ、国民党及び、国民党軍の実体に関しては台湾人の認識は薄かった。主に旧日本陸海軍特別志願兵、高砂義勇隊生還者などが復員して就職を捜していた。国民党軍は、これを好餌を持って詐網し、約15000名を軍に編入して大陸に送り、国共内戦を戦わせた。

昭和22年(1947)、台湾では228事件が起きる。これにより、国民党、国民党軍の正体を知った台湾人は誰も国民党軍などに応募しなくなった。228事件後、許昭栄さんは旧日本海軍軍人故に清郷の対象となる。危険分子として銃殺の候補者である。逃れる路はただ一つ、国民党軍海軍の徴募に応じることであった。当時の国民党海軍は訓練された兵員が絶対的に不足していた。228事件後は許昭栄さんのように、脅迫により軍に編入される場合が多く、以前のように、詐網されて国民党軍に入ってしまった人数は少ない。

許昭栄さんは技術員兵大隊に編入され大陸の青島に送られる。許昭栄さんのように海軍に編入されたのは少数で多くは陸軍であった。許昭栄さんは、その後、昭和23年(1948)米国より供与されるフリゲート艦の引き取り回航の為に米国に派遣される。この任務を果たした後、許昭栄さんは、激化する国共内戦に投入される。大陸の海港の封鎖作戦中、乗艦していた「太湖」での親友の戦死、埋葬の為に上陸した長山南島で中共軍上陸作戦に遭遇する。からくも逃れた許昭栄さんは、台湾に生還する。しかし、あまりの国民党軍のデタラメさに、怒り心頭に発した許昭栄さんは脱走して高雄に潜むが捕まってしまう。 銃殺か海軍に戻るかの選択を迫られ、結局、復軍する。その時、乗り組を命じられたのが、前記、雪風改め「丹陽」である。

許昭栄さんは生還したが、他の台湾兵はその後、どうなったか? 徴募された台湾兵は15000名、先ず国共内戦の錦州会戦、徐州会戦などで1949年までに、多くが戦病死、餓死した。運良く生き延びた者は殆ど全員が中共軍の捕虜になり、 1951年、今度は中共により朝鮮戦争に投入され、中共軍として戦わされ、多くが戦死した。これを生き延びた台湾兵は、文化大革命の時に、旧日本軍人、旧国民党軍人として迫害の対象となり、虐殺を免れた者は、収容所に入れられるか、辺鄙な地方に下放された。この時までに台湾兵は8割は非命に倒れ、大陸各地に約3000名が生き残っていたと推定される。 (1976年頃)

許昭栄さんの言う「台湾籍老兵」とは台湾人で、詐網若しくは脅迫されて、国共内戦に従軍した方達の事である。多くが、旧日本陸海軍軍人、軍属の方達であった。国共内戦に破れた蒋介石は占領した台湾に逃げ込み、台湾の不法占領を続け、恐怖による専制統治を強化する。 日本では昭和20年8月に戦争が終わった。しかし、台湾人は武装難民政権である白色恐怖支那政権と戦い続けなければならなかった。そして、それよりも強力な赤色恐怖支那政権が大陸にはあった。台湾人は、自ら民主化運動で、この白色恐怖支那武装難民政権を克服し現在の台湾統治政権がある。大陸では赤色恐怖支那専制政権が未だに存続している。

1954年、許昭栄さんは、また、米国に駆逐艦の引き取り要員として派遣される。翌1955年許昭栄さんは帰国するが、この時、禁書を台湾に持ち込む。実はこの年、東京で台湾共和国臨時政府が成立する。臨時大統領廖文毅博士が著した「台湾独立運動10年史」の英語版を許昭栄さんは、台湾に持ち帰るのである。これが発覚し、反乱罪として懲役10年を宣告され、1958年 緑島(火焼島)に流刑となる。10年の刑期を終え、1968年に釈放となるが、政治犯、として厳しい監視の元に置かれる。1972年、輸出商品に「Made
in Taiwan, Republic of Taiwan」と表記したとの嫌疑で逮捕されるが4ヶ月の拘留尋問の後、証拠不十分で釈放される。その後は貿易会社を設立して自営する。釈放されて12年後の1980年、53歳で東海大学に入学し企業管理を学び、翌年、始めて旅券を入手して、米国の査証を得てロスアンジェルスに渡り、UCLAの経営学講座を受講する。1984年 台湾で養殖した黒虎エビの市場開拓の為に渡米して、ベニハナのロッキー青木氏などと知り合う。1985年 緑島の獄友である施明徳氏(後の民進党党首)が獄中でハンガーストイキに入る。許昭栄さんは、これを支援するロスアンジェルスでのデモに参加する。これが原因で、中華民国政府より旅券を取り消されてしまう。許昭栄さんは、日本のロスアンジェルス領事館に救援を求めるが冷たく拒否される。
 
許昭栄さんは、かっては日本国民であり、しかも、日本の防衛のために生命を捧げる覚悟で帝国海軍に志願し勤務したのである。本人が、希望するなら無条件で即時、日本国籍が付与されて当然である。この国際常識は日本の外交官には通じなかった。このような政府、役人がいることは日本人の責任である。日本人の恥である。許昭栄さんは、当時、米国で亡命生活をしていた彭明敏博士(現総統府資政、1996年民進党総統候補)に相談し、彼の勧めでカナダに政治亡命を申請して受け入れられる。カナダに政治難民として、受け入れられた許昭栄さんはトロントに居を定める。この時に大陸に遺棄された台湾老兵の問題に取り組む始める。その経緯は許昭栄さんが涙と怒りで書いた「知られざる戦後 元日本軍・元国府軍台湾老兵の血涙物語」に詳しい。

平成3年(1991年)台湾での民主化革命によりブラックリストから許昭栄さんの名前が削除され、台湾に帰国が可能になった。その時、許昭栄さんは「滞留大陸台湾籍老兵要回家」の横断幕を掲げて帰国する。そして、台湾での許昭栄さんの台湾老兵の台湾への
帰郷、遺族への補償など、獅子奮迅の活動が始まる。 そして10余年、未だ、解決をないこの問題に対する許昭栄さんの不屈の活動は現在も続いている。



# 英霊奉賛日台交流会
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COMMENT

許先生 安らかに

許 昭栄先生からいただいたお手紙を書き記しておきます。
 今年は、終戦六十周年にあたり、当方も何らかの形で戦没なさった同胞の霊を慰め、ご冥福を祈る儀式の準備作業で忙しくしています。
 元来、小生の悲願としては一日も早く文物館を設置し、私ども台湾兵にかかわる文物を永久的に
展示し、尚且つその館内の石壁の靖国神社に奉祀なさっている元日本軍台湾兵、そして今ながらも中国の東北(旧満州)華北、及び北朝鮮に中国人民志願兵として無念に亡くなられた台湾兵の名前を彫り上げて歴史の証言として残そうと思って、台湾政府に呼びかけましたところ、なかなか同調して予算を組んでくれません。折角の六十周年もむなしく見流すつらい思いを思わざるを得ません。
ご存知の通り、台湾の情勢は益々悪化し、政府としても頭を抱えて悩んでいるようですから、過去の戦争の歴史などに関心をもってくるはずはないとあきらめております。
 でも良識と、息を吐いている限り悲願を成し遂げたい志は変わりません。努力し続けていくつもりです。ですから今後とも宜しくお願いします。益々暑くなりましたから、皆様ご自愛なされますようお祈り申し上げます。

許先生には台湾慰霊の際にお世話になりました。3年前の私信ですが先生のお気持ちを拝察する意義深い御文章です。心からお悼み申し上げます。申し訳なくて。

(2008.05.22 22:46:15)

許先生の御霊に捧ぐ
国のため赤々燃やすりっぷんちぇんしん わが身に代えてと旅立てる大人
わが国にすでになき魂 奮い起こし 悲願に往けり特攻の人
ますらをの哀しき命ささげつつ
  靖国の道に大人はや往けり
台湾に息吐きおる限り靖国成すと 祈り祈りつ命かなしも

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