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鉄道ブーム

鉄道ブーム 扇形車庫に脚光 台湾、修復終了

産経新聞 2005年8月25日


 日本統治時代に建設された台湾鉄路局(鉄道)彰化駅の「扇形車庫」が、このほど修復工事を終えて一般に公開された。日本の鉄道マニアにおなじみの京都・梅小路と同型の車庫で、台湾に五カ所あったうちの残された最後の一つだ。台湾ではここ数年、廃止ローカル線が観光用に復活するなど、鉄道ブームが到来。植民地時代の遺産にも脚光が集まっている。

 台北、台中、高雄といった都市を結ぶ台湾の大動脈、西部幹線の彰化駅にある扇形車庫は、一九二二年に建設された。蒸気機関車やディーゼル車の保守点検、修理を行う場所で、円形の転車台で車両の向きを変え、扇形に広がった車庫に車両を出し入れする。

 梅小路蒸気機関車館とほぼ同型。この形の車庫は、電化の進展に伴って時代遅れとなり、今や世界にも数カ所しか残っていないという。

 台湾で最後に残った彰化でもいったんは撤去が決まったが、九五年に地元議員や鉄道マニアの働きかけで保存が決まったという。その後、台湾大地震の影響もあって工事は遅れたが、今年六月にようやく完成した。
 「老朽化が進んで雨漏りがするほどだった。それでも保存されたのは、歴史を残さなければならないとみんなが思ったからです」と楊徳安・台湾鉄路管理局彰化機関区長。現在は一般に開放され、学校単位での見学などで連日にぎわいを見せている。(台湾・彰化 松尾理也)

≪台湾鉄路の火消さぬ 元機関士、誇らしく≫

 「十五歳で鉄路局に入り、十六歳から機関助手になった。戦争中も、列車を走らせたよ」
 台湾の彰化駅で復活した扇形車庫。蒸気機関車をながめながら元鉄路局職員、施廷裕さん(81)は、日本時代の思い出話を始めた。

 戦争末期には毎日のように空襲があり、鉄道も標的にされた。機銃掃射を受けて、機関車から飛び降りて逃げたこともある。至近距離に着弾したものの不発弾だったため、九死に一生を得たこともあった。

 戦争で設備に大きな被害を受け、日本人の技術者が日本に引き揚げた終戦直後が、最大のピンチだった。施さんは去っていく日本人職員に「半年で終わり(運行できなくなる)だろう」と予言されたという。だが、台湾鉄路の火は消えなかった。施さんはそれを誇りに思っている。

 「私は、日本教育を受けた。厳格な軍国主義教育で、台湾人は二等国民だったが、まじめな人間は選抜するといういいところがあった」と、流暢(りゅうちょう)な日本語で話す施さん。扇形車庫に残る蒸気機関車の点検整備を指導するため、今も週二回は彰化駅に顔を見せる。

 台湾にはかつて、製糖工場のためにサトウキビを運ぶ貨客両用のローカル線が多数存在した。通常より軌道の幅が狭く、台湾では「五分仔車」(半分の大きさしかない小さな汽車)と呼ばれる。

 「山越え町越え走る五分仔車/サトウキビも人間も/平社員も社長さんも/みんな一緒に乗っている」
 そんな唱歌も残っているという。それも時代とともに役目を終えた。製糖最大手、台糖は最盛期には四十一路線を運営していたが八二年に全路線が廃止。

 ところが、二〇〇一年に南部台南市近くの新営鉄道が観光用に復活したのをはじめ、現在では六路線がよみがえっている。扇形車庫も五分仔車も日本統治時代の遺産だが、人々に反感はあまり感じられない。

 「急激に変化する現代台湾にあって、古い時代を懐かしむ気持ちが強まっていることが、鉄道ブームにつながっている」
 そう指摘するのは、台湾の鉄道史を研究している法政大の鈴木敏弘講師(歴史学)。「台湾では日本教育を受けたお年寄りだけでなく、若い世代にも日本への親近感がある。植民地時代の遺産を素直に受け止めることができる台湾人の感性は、日本人にとっても非常に貴重です」とも話していた。(松尾理也)



『台湾の声』  http://www.emaga.com/info/3407.html

『日本之声』 http://groups.yahoo.com/group/nihonnokoe (Big5漢文)
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