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台湾憲法を制定すれば、主権国家と民主主義を確立できる 宗像隆幸 2004-05-28

台湾憲法を制定すれば、主権国家と民主主義を確立できる 2004-05-28 11:23:02
宗像隆幸
台湾憲法を制定すれば、主権国家と民主主義を確立できる
それによって、台湾は国際社会にも参入できる

2004年7月7日


目 次

1、外交政策の失敗が台湾の国際的孤立を招いた


2、情況を一変させた朝鮮戦争


3、米中接近で情況は再び激動


4、国連も台湾の法的地位が未定であることを認めた


5、中華民国憲法の下では、国家主権も民主主義も確立できない


6、台湾関係法も中華民国体制の廃棄を奨励している


7、中国の野望と現実性


8、中国の脅しにも米国の圧力にも屈しなかった台湾人


9、台湾憲法制定運動の成功を祈る




   1、外交政策の失敗が台湾の国際的孤立を招いた

世界には190余りの主権国家が存在し、相互に承認して正式な国交を開き、国連をはじめとする国際機関への参加を認められている。しかし、台湾は零細な20数カ国と国交を有するだけで、世界の主要な国々は一国として台湾を承認せず、国連をはじめとするほとんどの国際機関も台湾を締め出している。このような国際的孤立のために、台湾は政治的、経済的に重大な不利益を被り、国民の外国旅行さえさまざまな制限を受けている。さらに深刻な問題は、台湾が国際的な安全保障体制から疎外されていることである。他国に対する武力による威嚇や武力行使は国際法で厳しく禁じられているにもかかわらず、中国は絶えず台湾を武力で威嚇し、台湾への武力行使すら辞さないと公言している。台湾が世界の他の国々と平等な主権国家として国際社会に受け入れられたら、中国のこのような言動は決して許されないのである。

このような台湾の国際的孤立は、台湾側の外交的失敗によって生じたのだ。従って、国際的孤立から脱却するためには、台湾自身がその失敗を補う対策を講じなければならない。それにもかかわらず、台湾が国際社会で孤立してから30余年、台湾は国際社会に参入するための抜本的対策を一度として講じたことがない。

どうすれば、台湾は国際社会に受け入れられるようになるのか。それを知るためには、まず台湾が孤立することになった原因を明らかにしなければならない。台湾が国際社会で孤立することになったのは、中華人民共和国の国連加盟と蒋介石政権の追放を決めた1971年の国連総会決議が原因である。その原因を糾明することは、蒋介石の失敗を追及することであった。当時の蒋介石は台湾では絶対不可侵の独裁者だったので、彼の失敗に言及することはタブーであり、それを研究することさえ命にかかわる危険な行為であった。蒋介石の死後も息子の蒋経国が独裁権力を継承し、1987年まで38年間も続いた戒厳令下で恐怖政治(台湾では白色テロと言う)が敷かれていたから、台湾で蒋介石の失敗を糾明することは困難であった。しかし、台湾が民主化されて10年以上もたったのに、いまだにそのことがなおざりにされているのは理解し難い。ここで改めて台湾が孤立することになった原因を究明して、どうすれば台湾は国際社会に参入できるのか、検討することにしよう。

   2、情況を一変させた朝鮮戦争

蒋介石政権との内戦に勝利した中国共産党は、1949年10月1日に中華人民共和国の成立を宣言し、ソ連を盟主とするソ連圏諸国はただちに中華人民共和国を承認した。1950年1月6日には英国が自由主義諸国の先陣をきって中華人民共和国を承認した。1月13日に国連安保理事会は、蒋政権に代えて中華人民共和国を国連に加盟させるソ連の提案を米国などの反対で否決した。しかし、中華人民共和国を承認する国が次々と増えて、中華人民共和国が国連に加盟するのも時間の問題と見られていた。

情況を一変させたのは、6月25日に北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の軍隊が韓国(大韓民国)に侵攻、朝鮮戦争が始まったことである。6月27日、国連安保理事会は韓国を支援して北朝鮮軍を撃退することを国連加盟国に要請する米国案を採択した。中華人民共和国の国連加盟を要求する提案が否決されたことに抗議して、ソ連は安保理を欠席していたために、この米国案に対して拒否権を行使できなかったのである。同日、トルーマン米大統領は、米軍に朝鮮半島への出動を命じると同時に、第7艦隊には台湾海峡に出動して中華人民共和国と台湾の中華民国との武力衝突を防止するよう命じた。7月7日の国連安保理決議で朝鮮半島に出動した国連軍の指揮権は米国に与えられ、トルーマン大統領はマッカーサー元帥を国連軍最高司令官に任命、韓国の李承晩大統領も韓国軍の指揮権を米国に移譲した。国連軍の攻勢で北朝鮮軍は中華人民共和国(以下、特に必要な場合以外は「中国」と略す)との国境近くにまで追いつめられたが、10月19日に中国軍が北朝鮮を支援するために朝鮮戦争に介入した。

中国と戦うことになった米国では、中国の共産化を許した過去の対中国政策が厳しく批判され、朝鮮戦争で多数の犠牲者を出したことから、米国民も激しい反中国感情を抱くことになった。このような国民感情を背景に米国が打ち出したのが「中国封じ込め政策」であり、中国の国連加盟を阻止するために、米国は中華民国の国連における地位を擁護した。「中国代表権問題」と呼ばれたことからも明らかなように、中国を代表するのは中華人民共和国政府か、中華民国政府か、というのが争点であった。国連安保理常任理事国の5つのポストの1つは中国に与えられたものだから、中国代表と認められた方が安保理常任理事国になれるのである。

中国大陸の寸土をも統治していない中華民国が国連安保理常任理事国のポストを占めているのは明らかに不当だったので、年を経るに従って中国の国連加盟を支持する国が増えた。そこで米国は、中国の国連加盟を阻止するために、「中国代表権問題」を国連憲章第18条に規定されている「重要問題」に指定する手段を採用した。国連総会の過半数の賛成によって「重要問題」に指定できるが、「重要問題」に指定された問題の可決には、総会の3分の2以上の賛成が必要である。

1970年11月20日の国連総会において、「中華人民共和国の代表が、国連における中国の唯一の合法的代表であり、蒋介石の代表を国連および全ての国連機関から即時追放する」というアルバニア決議案が、初めて過半数を超え、賛成51票、反対49票、棄権25票で決議された。しかし、その前に「中国代表権問題」は「重要問題」に指定されていたので、この決議は無効だった。

   3、米中接近で情況は再び激動

翌1971年、また国際情勢に大きな変化が生じた。それまで敵対していた米国と中国の接近である。

第2次世界大戦後、米国を盟主とする自由主義陣営とソ連を盟主とする社会主義陣営は、世界を舞台として対決していた。冷戦である。中華人民共和国を樹立した中国共産党は、ソ連共産党を兄貴分として仰ぎ、中国とソ連は「一枚岩」だと団結を誇示していた。しかし、社会主義陣営におけるイデオロギー闘争のために、両国は敵対するようになった。中ソ両国は、国境で武力衝突を起こし、国境線をはさんで大軍を配置して対峙するに至った。世界で2つの超大国であった米国とソ連の双方を、中国は敵に回すことになったのである。この苦境から脱するためには、中国は米ソのいずれかと関係を改善する必要があった。ソ連も中国も共産党独裁国家だから、イデオロギー闘争は深刻であり、両国の和解の見通しはつかなかった。

米国としては、もし中国との関係を改善できれば、冷戦で有利な立場に立てることになる。当時、ニクソン米政府はベトナムからの撤兵問題で苦境に立たされていた。ベトナム戦争の「泥沼」から抜け出す方針を決定したニクソン大統領は、一時は50万人もいたベトナムの米兵の多くを撤退させ、もう10万人ほどしか残っていなかった。だが、そのままで全米軍を撤退させてしまえば、北ベトナム軍が一気に南ベトナムを制圧することになり、自由主義陣営に属した南ベトナムの防衛を名分に参戦した米国は、友軍を見捨てて敵前逃亡を行ったと非難され、権威が失墜することは明白だった。また米国民が、捕虜にされた米兵を置き去りにして撤兵することを許すはずもなかった。この問題を解決するためには、どうしても北ベトナム側との和平協定が必要であった。しかし、あと一息で米軍を追い出して、南ベトナムを統一できると思っている北ベトナムが、簡単に和平協定に応じるはずはなかった。そこでニクソン政権が考えたのは、中国の力を借りることであった。ほとんど工業力を持っていない北ベトナムは、ソ連圏諸国と中国の軍事援助に依存して戦争を続けていた。北ベトナムの港湾と空港は米空軍の制圧下におかれていたから、北ベトナムへの援助物資のほとんどは陸路で運ぶしかなく、その多くは中国を経由していた。中国の協力がなければ、ベトナムは戦争を続けられなかったのだ。米国と中国の間には、重大な国益の一致点が存在したのである。

1971年7月にヘンリー・キッシンジャー米大統領補佐官は、秘密裏に訪中して中国の周恩来総理と会談を行い、同月15日、中国の招請を受けてニクソン大統領が翌年5月までに訪中することが発表され、世界を驚かせた。米国は、「中国封じ込め政策」を放棄したのである。米国が中国との協力政策に転換したのだから、この秋の国連総会で中国の国連加盟が実現することは既定事実となった。

米国は、安保理常任理事国として中国を国連に加盟させ、中華民国は一加盟国として国連に残す方針を発表した。中華民国の国連議席を守ることは、蒋介石が決断すれば、簡単にできることであった。安保理常任理事国のポストを放棄するだけでよいのである。そうすれば、そのとたんにどちらが中国を代表するかという「中国代表権問題」は消滅する。国連総会は、中華人民共和国が中国代表として国連に加盟することを承認するだけですむのだ。中国は蒋政権の国連からの追放を要求していたが、そんなことはできるはずがなかった。国連加盟国の除名には、安全保障理事会の勧告が必要であり(国連憲章第6条)、さらに国連総会の3分の2以上の賛成を必要とする(同第18条)と定められているからである。米国が安保理で拒否権を発動するだけで、中華民国の追放案は葬れるのだ。

中華人民共和国は安保理常任理事国として国連に加盟できても、中華民国が1加盟国として国連に残れば、国連は中国と台湾にそれぞれ異なる国家が存在していることを認めたことになる。中国と台湾の紛争は、国内問題ではなく、国際問題であることを国連が認めたことになってしまうのだ。国連憲章は、「すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇または武力の行使を、如何なる国の領土保全または政治的独立に対するものも、また国際連合の目的と両立しない他の如何なる方法によるものも慎まなければならない」(第2条第4項)と定めている。中国は、台湾に対する武力による威嚇と武力行使を一切禁じられることになり、台湾統一は断念せざるをえなくなるのである。

   4、国連も台湾の法的地位が未定であることを認めた

中国にとって国連安保理常任理事国になることは、国際社会から世界の5大国の1つとして公認されることを意味するだけでなく、安保理常任理事国として拒否権を含む強大な権力を入手することであった。これは大変な魅力であったが、台湾統一を最大の目標に掲げている中国共産党は、国連加盟と引き換えに台湾統一を断念するつもりはなかった。そこで中国の意向を受けて、中国の国連加盟と同時に中華民国を国連から追い出すために考えられたのがアルバニア決議案である。中国の国連加盟案に「中華民国を国連から追放する」と書けば、国連加盟国の除名案になるから、そのような決議案を通すことは不可能だ。そこでアルバニア決議案には、「中華民国」ではなく、「蒋介石の代表」を国連から追放すると書くことにしたのである。

これは、蒋介石の率いる一団は単に台湾を占拠している集団にすぎず、「中華民国は国家ではない」ということであり、「中華人民共和国が成立したとき、中華民国は中華人民共和国に継承されて消滅した」という意味なのだ。国連憲章第23条には5つの安保理常任理事国の国名が書かれているが、現在も「中華民国」と書かれたままであり、中華人民共和国の文字はない。国連も「中華民国は中華人民共和国に継承されて消滅した」という解釈を受け入れたからこそ、国連憲章には中華民国と書かれているのに、中華人民共和国が安保理常任理事国の地位を占めているのである。

1971年10月25日、このアルバニア決議案は国連総会で採択された。中国は蒋政権を国連から追い出すことに成功したが、このアルバニア決議案には、中国にとって有利な面だけではなく、不利な点、すなわち台湾にとって有利な点も含まれていた。中華民国はすでに消滅しているという国連の解釈は、台湾は中華民国の領土ではないことを国連が認めたことを意味しているからである。

もし、台湾が中華民国の領土であることを認めれば、中華民国は台湾に存在していることになる。他の如何なる国家権力にも服さず、領土と人民を有し、そこに確立された統治組織(政府)が存在すれば、それは主権国家である。中華民国政府は、台湾・澎湖島とそこに住む人民を支配していたから、一見したところ、立派な主権国に見える。問題は、中華民国が台湾・澎湖島に対する国際法上の領土主権を有するか否かである。

1945年9月2日、日本が降伏文書に調印した日、マッカーサー連合国最高司令官によって、一般命令第1号が発令された。これは各地の日本軍が誰に降伏すべきかを指示した命令であって、米軍が日本を占領したり、ソ連軍が満洲を占領したのと同じように、蒋介石政権の台湾・澎湖島占領も一時的な軍事占領となるべきものであった。しかし、台湾・澎湖島を占領した蒋介石政権は、カイロ宣言とポツダム宣言を根拠として台湾・澎湖島は中華民国の領土になったと解釈した。中華人民共和国もこの解釈を踏襲して、中華民国の領土であった台湾・澎湖島は中華人民共和国に継承されたと主張している。しかし、カイロ宣言は、第2次世界大戦中の1943年、ルーズベルト米大統領、チャーチル英首相、蒋介石中華民国総統の3者会談の後で発表されたニュース・リリースにすぎない。台湾と澎湖島は米国のものでも英国のものでもなかったのだから、米国の大統領や英国の首相にそれを処分する権限があるはずはない。カイロ宣言に台湾・澎湖島を中華民国に与えると書いてあっても、何ら国際法上の効力はないのである。日本に対する降伏勧告であるポツダム宣言に、カイロ宣言の中の無効の条項が書き加えられたからといって、それが有効になるはずはない。戦争に伴う領土変更は、平和条約によって行われるのが原則である。ところが1951年にサンフランシスコで締結された「日本国との平和条約」は、日本が台湾・澎湖島を放棄することを定めたが、その帰属には触れていない。従って、米国、英国、日本を含む多数の国々が、「台湾・澎湖島の法的地位は未定」という見解をとっている。

台湾・澎湖島の法的地位が未定であれば、中華民国は国際法で認められた領土を持っていないことになる。金門と馬祖は中華民国が領有していたが、金門と馬祖は中華人民共和国の領海内にある中国沿岸の小島にすぎない。他国の領海内にある小島を領有していても、主権を持つ独立国家としての必要条件を満たすことはできない。国際法で認められた領土を持たない中華民国は、すでに中華人民共和国に継承されて消滅している、という解釈は正しいのである。蒋介石政権は、単に台湾を占拠している権力集団にすぎなかったことになる。

アルバニア決議案が国連総会に提出されたときから、中国はこの決議案が採択された場合、国連が台湾・澎湖島の法的地位が未定であることを認めたことになるのに気づいていた。キッシンジャーは1971年の2回目の訪中で、10月21日に周恩来と次のような会話を交わしている。

周恩来:「問題は、ほかの決議案は、国連の議席を含む、国連における中国の法的権利すべての回復を求めていることです。この決議案の下では、台湾の地位に関する条項を挿入することは不可能ですし、もしこれが通れば、台湾の地位は未定ということになります。」 キッシンジャー:「アルバニア決議案でもですか?」
周恩来:「そのような危険があります。もちろん、アルバニア決議案を支持する国々は、このような側面について考えたことはないでしょう。」
『周恩来 キッシンジャー 機密会談録』(岩波書店2004年発行、159頁より) 「ほかの決議案」というのは、米国案以外の決議案という意味であり、実際にはアルバニア決議案に一本化されていたから、アルバニア決議案を指している。

「台湾の地位に関する条項を挿入することは不可能」というのは、「台湾は中華人民共和国の領土である」という条項を入れたら、台湾の法的地位が議論されることになり、決議案を通せなくなるからである。周恩来は、「アルバニア決議案を支持する国々は、このような面について考えたことはないでしょう」と言っている。中国としては、アルバニア決議案が台湾・澎湖島の法的地位未定を確認する意味を含んでいることに気づかれると困るのである。だから周恩来は、第1回会談のときからキッシンジャーに対して繰り返し、米国が「台湾の法的地位未定論」を持ち出さないことを要求している。

キッシンジャーの方は、「アルバニア決議案でもですか?」と聞いているように、この重要な点に全く気づいていない。

アルバニア決議案に賛成した国々も反対した国々も、この点を見落としてしまった。だから、台湾の法的地位が問題にされることはなく、周恩来は蒋政権を国連から追放することに成功した。しかし、蒋政権が安保理常任理事国のポストを放棄していたら、周恩来の努力は水泡に帰していたのである。

この点で米国にも責任がある。安保理常任理事国のポストを守ることが不可能になったことは、蒋介石政権も認識していたし、国連の一般議席を守ることの重要性も知っていた。しかし、外国の代表に対して独裁者が、それまで主張し続けてきた建前論を急に翻して、自分の責任になるような発言をするわけはない。ところが米国は、蒋介石の「中華民国は中国の正統政府である」という建前論を信じてしまったのだ。そこで米国は、蒋政権の議席を守るために、2つの決議案を国連に提出した。 1つは、「国民政府の国連代表権剥奪をもたらす如何なる提案も国連憲章第18条に基づく重要問題である」という「逆重要事項」指定決議案であり、蒋政権の追放には国連総会の3分の2以上の多数を必要にするための決議案である。もう1つは、「北京政府の代表権を確認するとともに、安全保障理事会の5常任理事国の1つとして議席を占めることを勧告する。国民政府は引きつづき代表権を有することを確認する」という、いわゆる「2重代表制」決議案である。国連総会で「逆重要事項指定」決議案は否決され、アルバニア決議案が採択されたために、この「2重代表制」案は決議にかけられることなく終わった。米国案が通ったとしても、蒋政権が安保理常任理事国の議席を失うことは決まっていたのである。

米国は、蒋政権と国交があっただけでなく、安全保障条約を結んで台湾を守っていたのだから、「アルバニア案が通れば、国交も安保条約も、いずれ解消せざるをえなくなる」と言って、蒋介石に安保理常任理事国のポストの返上を迫れば、蒋介石としては従う以外に方法がなかったはずだ。事実、蒋政権の周書楷外相は、国連総会に出発する前の9月13日に蒋政権の幹部たちを集めた会合で、「国連総会に残ることが重要であり、総会に残れば、北京は入ってこないかもしれないし、たとえ北京が国連に加盟したとしても、われわれは総会に留まることが必要だ」と説明したという。9月15日の『聯合報』は、社説で、「国連はわれわれにとって非常に大きな財産であり、固守するに値する陣地である。たとえ、国連を軽々しく脱退したところで、第2の国連を探し出すことはできないのである。」と書いている。もちろん、絶対的な独裁者であった蒋介石の許可がなければ、こんなことを言ったり書いたりできるはずがない。米国政府がもう少し台湾の内部情勢に注意を払っていたらわかったはずなのに、ワシントンが台湾の内情をよく理解していないのは昔も今も変わりない。

  5、中華民国憲法の下では、国家主権も民主主義も確立できない

国際法の観点から見ると、それまで日本の領土であった台湾・澎湖島の法的地位は、1952年4月28日にサンフランシスコ平和条約が発効した時点で未定となった。1971年10月25日に国連総会がアルバニア決議案を採択したことによって、国連も台湾・澎湖島の法的地位が未定であることを確認したのである。

台湾に1つの国家が存在していることは、誰も否定できない現実である。この国は、190を超える国連加盟国と比較すれば、人口は約2,250万人で41番目ぐらいに位置し、36,000k㎡の領土は21の小国の面積を合計したよりも広く、1人当たりの国内総生産(GDP)は約13,000米ドルで25位ぐらいになる。しかも、その国民は大統領(総統)と国会議員を民主的な直接選挙で選出するという形で主権を行使しており、立派な民主主義国家である。

しかし、この国は、すでに消滅したと国際社会で見なされている中華民国の憲法を使用しているために、国際法上の地位はいまだに未定なのだ。国際法によると、如何なる国も法的地位が未定の国を主権国家として承認することはできないし、その国は主権国家を参加資格とする国際機関に加入する資格もない。台湾の国際法上の地位を確立することによってのみ、この問題は解決できるのである。

サンフランシスコ平和条約を批准した国々が台湾の法的地位を決定する権利を持っているという意見もあるが、それはすでに時代遅れの考えである。人民自決の権利は、国連憲章を初めとする国際法で認められた権利であり、それはすでに国際社会で確立された権利として認められているからである。そのことは、1966年の国連総会で採択され、1976年に発効した国際人権規約に明確に示されている。国際人権規約は、「経済的、社会的および文化的権利に関する国際規約」(A規約)と「市民的および政治的権利に関する国際規約」(B規約)の2本建てになっているが、A規約もB規約も第1条に全く同文の「人民の自決の権利」を掲げている。

その第1条第1項は、「全ての人民は、自決の権利を有する。この権利に基づき、全ての人民は、その政治的地位を自由に決定し、その経済的、社会的、文化的発展を自由に追求する」と規定している。人民の自決権は全ての人権の基礎になる権利であるからこそ、国際人権規約はA規約とB規約の冒頭にこの条項を掲げたのである。台湾の政治的地位を決定する権利を有するのは、台湾人民だけなのだ。台湾人民はすでに主権者としての権利を行使しているのだから、その権利を行使して台湾国憲法を制定し、中華民国憲法を廃棄すれば、台湾の法的地位は決定されるのである。

これは、自決権を有する台湾人民が、未定の台湾の地位を決定することであって、台湾の独立を意味するものではない。台湾は台湾以外の如何なる国からも支配されていないのだから、台湾の独立という問題は存在しないのである。

台湾独立運動が用いた「台湾独立」という言葉が誤解を与えたのかもしれないが、これはどこかの国からの独立という意味ではない。蒋介石政権は、連合国の一員として一時的に台湾を軍事占領しただけのはずなのに、台湾を不法に中華民国に組み入れてしまった。台湾独立運動は、これを一種の植民地支配体制と見なした。台湾独立運動は、1960年前後に在外台湾人が一種の反植民地運動として開始したものであり、当時は世界各地で植民地からの独立運動が盛んに行われていたこともあって、この反蒋政権運動を台湾独立運動と呼んだのである。その10年も前に蒋政権は国際法上の合法的な領土を失っていたので、台湾独立運動は初めから中華民国を主権国家とは見なさなかった。だから、台湾独立運動は自分たちの運動を、「中華民国」からの独立ではなく、一種の植民地支配である「中華民国体制」からの独立と定義したのである。

民主化の推進によって、この中華民国体制の植民地支配的政治構造は崩壊した。しかし、中華民国憲法が残っているかぎり、台湾は国際法上の主権国家にはなれないし、民主主義を完全なものにすることもできない。民主主義の基本原理は、国民が自らを統治することである。すなわち、民主主義とは、国民が直接に決定した法か、自分たちが選出した代表によって制定された法に従うことである。

陳水扁総統は、国民投票によって、憲法を制定することを選挙公約に掲げた。この公約が実現されたら、台湾は国際法上の主権国家になれるし、民主主義の基本的制度も完成するのである。台湾が自由で民主的な主権国家になることは、米国の国益に一致するだけでなく、アジア太平洋地域の平和と安定に大きく寄与することになる。

国際法によって、全ての主権国家に「独立権」と「平等権」が認められている。「独立権」とは、独立国家として国際社会に参加することを認められる権利であり、「平等権」とは、国家の大小にかかわらず、独立国家として国際社会で平等に扱われる権利である。だからこそ、どのような小国であろうと、世界の国々から承認され、国連をはじめとする国際機関への参加を認められているのだ。

台湾が主権国家になれば、台湾は他の国々と同じように世界の国々と国交を開き、国際機関にも参加する権利を認められるのである。これは例外なく全ての主権国家に認められているもっとも基本的な権利だから、中国がどのように妨害しようと、台湾の国際社会への参入をいつまでも阻止できるわけはない。国連への加盟には安保理事会の勧告が必要なので、中国は拒否権を行使して台湾の加盟を阻止できるが、主権国家に対してそのような横暴な態度を取り続ければ、国際社会の厳しい批判を招き、台湾を承認する国々と台湾の加盟を認める国際機関の増加を促すことになろう。そうなれば、いずれ中国も台湾の国連加盟を認めざるをえなくなるであろう。

     6、台湾関係法も中華民国体制の廃棄を奨励している

米国政府は、台湾の事情をよく理解した上で、「一切、現状を変えるな」と台湾に圧力をかけているとは思えない。1971年のことを考えてもわかるように、米国政府は台湾のことをよく理解していないのだ。あのときキッシンジャーは、周恩来と10回も会談を重ねながら、台湾人民のことには一言も触れなかった。そのあと訪中したニクソン大統領も、同様だった。当時の米国政府は、もっぱらベトナム問題と対ソ連問題を念頭において中国と交渉していたから、恐怖政治の下で沈黙を強いられている台湾人民の存在にすら気づかなかったのであろう。

米国と中国が国交正常化交渉を行った1978年は、冷戦がもっとも厳しい局面に突入しようとしている時代であった。1978年4月にはアフガニスタンで内乱が起こってソ連の統制がきかなくなり、翌年末にはソ連軍がアフガニスタンに侵攻している。中国とベトナムの対立が深まり、ソ連とベトナムが友好協力条約を締結したのは1978年11月で、翌年の4月に中国は中ソ友好同盟相互援助条約の廃棄をソ連に通告した。ポーランドで反ソ連の労働運動が高まり、ソ連の東欧支配体制を崩壊させるきっかけとなった独立自主労組「連帯」が結成されたのは1980年9月であった。

このように激動する国際情勢の下で、すでに準国交関係を結んでいた米国と中国は、より関係を緊密化することが相互の利益になると考えて、秘密裏に国交正常化を急いだのである。1978年12月16日、米中両国は共同コミュニケを発表して、翌年1月1日に正式な国交を樹立することを明らかにした。もっとも衝撃を受けたのは、台湾の蒋経国政権である。内部で混乱が起きることを恐れた蒋経国は、台湾全土を厳重な警戒態勢下におき、12月23日に予定さていた中央民意代表増補選挙を延期した。

1979年1月1日に米国は、中華民国との断交と安保条約(米華相互防衛条約)の廃棄(1年後に発効)を通告した。「台湾を見捨てるのか」との批判が米国で巻き起こった。カーター政権は、台湾への武器輸出を続けることを明らかにしただけで、安保条約破棄後の台湾の安全をどのような形で保障するのか、何の対策も準備していなかったのである。カーター政権もまた、他のことに気をとられて台湾のことは真剣に考えていなかったのだ。その対策を講じたのは、米議会だった。1979年4月10日に成立した台湾関係法である。この台湾関係法は、「西太平洋地域の平和、安全および安定の維持に寄与し、合衆国人民と台湾人民との間の商務、文化およびその他の各種の関係を維持することを授権することによって、合衆国の外交政策を推進する」と目的を明確にした上で、「米中国交樹立は、台湾の将来は平和的方式で決定するという合衆国の期待に基づいたものであること」「ボイコットおよび封鎖を含め、非平和的手段で台湾の将来を決定しようとする如何なる企図も、西太平洋地域の平和と安定に対する脅威であって、合衆国の重大な関心事であること」「防衛的性格の武器を台湾人民に提供すること」「武力に訴えたり、その他の高圧的手段を用いて台湾人民の安全および社会、経済制度を危うくする全ての行動に抵抗するための合衆国の能力を維持すること」などの政策を掲げている。

この台湾関係法には、米国が中華民国と断交して安保条約を廃棄した後も、米国と台湾の緊密な関係を維持して台湾の安全を確保する、という議会の意志が明確に示されている。米国政府の台湾政策も、議会の圧力で決定されることが少なくなかったようだ。例えば、1996年の台湾で初めての総統直接選挙の直前、中国は台湾近海にミサイルを発射して台湾人民を威嚇したが、米議会の圧力のために、非常に親中国的であったクリントン大統領でさえ、2空母艦隊を台湾近海に出動させて、中国に圧力を加えた。

台湾関係法には「すべての台湾人民の人権を守り、かつこれを促進する合衆国の目標をここに改めて表明する」という人権条項もあるが、この条項を用いて米議会が直接に台湾の民主化に協力したこともある。1986年9月に民主進歩党が結成されたときのことである。当時の台湾はまだ戒厳令下で政党結成が禁じられていたので、民進党は弾圧される可能性が大きかった。そこで、米国で活動していた台湾人独立運動家たちが、有力議員に働きかけたのである。その結果、同年5月、ケネディー、ペル、ソラーズ、リーチ、トリセリの5人の上下議員が、「台湾民主化委員会」を結成して、「戒厳令の解除、政党結成の容認、国会の全面改選」を蒋経国に要求し、民進党が結成されたときに弾圧せぬよう圧力をかけた。6月には米下院国際委員会のアジア太平洋小委と人権小委が、合同で「台湾民主決議案」を採択して、「新党結成の容認、検閲の禁止、言論・出版・集会の自由の保障、完全な議会民主制の実現」を要求した。このような米議会の圧力もあって、民進党は無事に結成され、このときから台湾の民主化が始まったのである。この台湾関係法は、台湾を統治していた蒋政権の立場ではなく、蒋政権の専制独裁下で苦しんでいた台湾人民の立場に立って制定された法律であることが明白であろう。さらに注目すべきことは、「1979年1月1日に先立つ時期に合衆国が中華民国として承認した台湾統治当局およびそれを継承する統治当局」に台湾関係法は適用されると定められていることである。中華民国体制を「継承する統治当局」とは、台湾人民の意志に基づいて設立される民主的な政府のことである、と理解してよいのではなかろうか。そうだとすれば、台湾人民が自由で民主的な台湾国体制を創設して、米国も断交せざるを得なかった中華民国体制は廃棄することを、台湾関係法は奨励していることになる。台湾と台湾人民のおかれている立場をこれほど深く理解し、台湾人民に対する同情心に満ちあふれたこのような法律が、米国で制定されたことは驚くべきことだ。当時、米国で台湾独立運動を行っていた台湾人が、この法案の作成に緊密に協力したからこそ、このような法律が誕生したのである。台湾関係法の作成に協力した台湾人は、国民党政権のブラックリストから解放された後、台湾に帰り、各界で活躍しているが、台湾関係法の制定に関係した米議員の多くがすでに引退したこともあり、現在では米議会と台湾人の関係がだいぶ希薄になっているように思える。

台湾関係法は米国議会に対する働きかけの重要性を教えている。世界中のいろいろな問題に絶えず対処しなければならない米国政府は、多忙すぎて、各国の内情にまで配慮するゆとりはほとんどないのが現実である。昨年の12月、中国の温家宝首相と会ったブッシュ米大統領は、「現状を変えようとする台湾のリーダーによる発言や行動に反対する」と記者会見で語り、陳水扁総統の再選に危機をもたらした。幸い、陳水扁が当選したからよかったものの、もし統一派が勝っていたら、台湾が危機に立たされるだけでなく、東アジア・太平洋地域の平和と安定にも大きな影響を与え、米国と日本の基本的な国益さえ脅かされるところであった。しかし、イラク問題や北朝鮮問題で頭がいっぱいのブッシュ政権は、ただ中国を懐柔することだけに気を取られて、そこまで考える余裕がなかったのであろう。

    7、中国の野望と現実性

第2次世界大戦前の世界では、豊かで広大な国土を持つ米国は別として、多くの植民地や従属国を持つ国が、強大な国家であった。しかし、大戦で敗れた日本やドイツは、植民地も従属国も失ったことでよけいな負担がなくなったために、経済面で大発展を遂げることができた。戦勝国の英国やフランスなども、植民地独立運動に直面して、植民地支配が不利益しかもたらさないことを悟り、植民地を放棄してから経済発展を遂げることできた。第2次大戦後、資本主義国家にとって、帝国主義は時代遅れになったのである。

大戦後、支配領域を拡大したのは、ソ連と中国だけである。東欧諸国を支配下においたソ連は、広大な帝国を築いたが、冷戦に敗れてこの大帝国は解体した。世界の潮流から見て、武力で支配領域を拡大する帝国主義は、すでに過去のものになったように思われる。しかし、中国だけはこの世界の潮流を無視し、中国の歴史的伝統に従って帝国主義的政策を追求しているようだ。

中国の歴代王朝は、かならず天下統一を目指した。中国人の言う天下とは、中国大陸とその周辺地域のことである。中国大陸を直接の支配下におき、周辺諸国を冊封と朝貢によって服属させたとき、中国の天下統一は完成した。中華人民共和国は、すでに中国史上最大の版図を有し、大陸での領土拡張はほぼ限界に達している。農耕民である中国人は、海洋に関心を示したことはかつてなかったのであるが、現在では海洋資源を重視するようになり、領海の拡張を推進している。1992年に公布した領海法で中国は、尖閣諸島を含む東シナ海の大部分を自国領に含めたばかりか、フィリピン、マレーシア、ベトナム、台湾、中国に囲まれた南シナ海全体を中国の領海であると宣言した。中国が執拗に台湾の併合を狙っているのは、1つには台湾の経済力を自国のものにしたいからであろう。台湾の人口は中国の約60分の1にすぎないが、国内総生産(GDP )は中国の4分の1以上もあり、台湾を併合すれば、その技術と資本を支配下に置くことができるからだ。もう一つの大きな理由は、台湾を獲得できれば、南シナ海は中国の内海となり、中国はその周辺諸国を事実上の従属国にできると考えているからであろう。

しかし、陸つづきの国と異なり、台湾は中国が簡単に占領できる国ではない。ナポレオンもヒトラーも、狭い所では34k㎡ほどしかないドーバー海峡で隔てられているために、英国を攻略できなかった。台湾海峡は、その3倍以上の広さがあるのだ。事前に台湾側の抵抗力を奪ってしまわないかぎり、台湾海峡を押し渡って、台湾を占領することは不可能である。台湾人民の87%は、「もし中国が攻めてきたら、台湾を守るために戦う」と、世論調査に答えている。いったいどうすれば、この台湾人民の意志を打ち砕くことができるだろうか。もし、核兵器で攻撃すれば、中国は台湾の抵抗力を奪うことが可能であろう。しかし、それは中国が全人類を敵にまわして自滅することであり、選択肢にはなりえない。台湾に照準を定めた短距離ミサイルを、中国はすでに550基配置しているが、装填できる爆薬は全部あわせても500トンほどにすぎない。コソボに対してNATO軍は、その23倍にあたる11,500トンの爆弾やミサイルの雨を降らせたと言われている。また、1958年の金門砲撃戦で、中国軍は50万発を超える砲弾を金門島に撃ち込んだ。このような例から考えても、爆撃や通常弾頭を用いたミサイル攻撃で、台湾人民の抵抗の意志を挫くことは不可能であろう。

そのような中国の侵略行為に対して、台湾側も拱手傍観していることはありえない。米国も台湾関係法に基づいて、どのような対抗手段を講じるか、軍事行動も含めて、台湾側と協議することになる。その結果、中国に対して少なくとも米国を中心とする経済制裁が発動されることになろう。台湾海峡をはさんで戦争が起きたら、それだけでも中国に対する外国からの投資は激減する上に、経済制裁を科されたら、外国資本に依存して発展を続けている中国経済は、崩壊の危機に瀕することになる。これもまた、中国にとって自滅行為と言う他はない。

では、海上封鎖はどうであろうか。かつて小平は、「中国は台湾を占領する力は持っていないが、海上封鎖ならできる」と言ったことがある。貿易立国の台湾にとって、シーレーンは生命線である。もし、小平が言ったことが本当なら、台湾は窮地に立たされる。海上封鎖には2つのやり方がある。1つは、台湾の港に出入りする船舶を攻撃することであり、もう1つは台湾の港を封鎖することだ。

外国船を攻撃することは、戦争行為である。もし、星条旗を掲げた船舶を攻撃すれば、それは米国に対する宣戦布告となり、ユニオン・ジャックを掲げた船舶を攻撃すれば、英国に対する宣戦布告になる。そんなことは、できるはずがない。台湾船は動かなくても、台湾の交易に大した影響はないから、この方法は使うことができない。

現在の中国の軍事力で台湾の港を封鎖しようとするなら、高雄や基隆の港口に機雷を敷設する以外に方法はなかろう。水深が深すぎると機雷は機能しないし、港から離れすぎたところに敷設すると、その港とは関係のない外国船にまで被害を与えることになるので、機雷を敷設する場所は限定される。防衛する側から言えば、その部分に警戒を集中して機雷の敷設を防ぎ、敷設されたものは掃海すればよい。従って、海上封鎖を試みても実効は期待できないばかりか、ミサイルによる攻撃の場合と同じように、中国は国際社会から批判されて制裁を招く可能性もある。海上封鎖の話も、中国の得意とする脅しの一つにすぎないのだ。

台湾人民に対して中国は、「文攻武嚇」を繰り返してきた。これまで行われた3回の総統直接選挙では、「独立派が当選したら戦争だ!」と言わんばかりの脅迫を行ったが、いずれも裏目に出た。しょせん「文攻武嚇」は心理作戦だから、台湾人民がその脅しに屈しなければ、中国にとって得るものはない。

台湾にとって真の危機は、中国が台湾人民の抵抗心を奪えるだけの軍事力を備えたときに訪れることになる。台湾の安全は、台湾の防衛力と米国の支援によって保障されている。しかし、目覚ましい経済発展を背景に中国は、軍事力の増強を続けている。いつの日か、中国が海軍力で台湾を包囲し、中国からのミサイルと空軍に加えて、海中・海上から台湾のどこでも攻撃できるだけの軍事力を持つ日がこないという保証はない。もし、中国がそれだけの軍事力を持つようになれば、中国は米国に対しても大きな損害を与えることが可能な攻撃力を持つことになる。中国の軍人が、「ロサンゼルスやサンフランシスコを犠牲にしてまで米国が台湾を防衛することはありえない」と言ったことがある。

そのような軍事大国になった中国が、「台湾が統一を受け入れなければ、武力を行使する。米軍が介入した場合、米国の都市と米軍に基地を貸与している日本を攻撃する」と宣言したら、どう対応するのか。米国と日本の世論の反対で、米軍が介入できなくなるのは目に見えている。そうなれば、台湾の人々も中国への抵抗を諦めざるをえなくなるであろう。

日米安保体制は「アジア太平洋地域の平和と安全を守る」ことを目標にしているが、その要に位置している台湾が中国に併合されたら、日米安保体制は崩壊する。台湾海峡も南シナ海も中国の内海となり、東南アジア諸国は実質的な中国の従属国になるであろう。中国の天下統一が完成し、中国は東アジアで覇権を確立することになる。米国はハワイまで退くだけですむかもしれないが、東アジアで孤立した日本は、中国への従属を迫られることになるであろう。そのような悲劇を避けるためには、台湾を国際的な安全保障体制の中に組み入れて、中国が台湾を攻撃できないようにすることが必要である。

   8、中国の脅しにも米国の圧力にも屈しなかった台湾人

中国は台湾に対して武力を行使する権利を持っているかのように、絶えず台湾を武力で威嚇しているが、国際社会は中国に制裁を加えたことがない。国際法が禁じているのは、「国際関係において、武力による威嚇または武力を行使すること」だから、国際社会は「台湾問題は中国の国内問題である」という中国の主張を認めているのであろう。しかし,「台湾は中華人民共和国の領土の一部である」という中国の主張は国際法に反しており、国際社会も認めていないから、中国は領土権を根拠として台湾を武力で威嚇あるいは攻撃することはできない。根拠があるとすれば、1971年の国連決議であろう。1971年に国連総会が採択したアルバニア決議案の意味することは、「中華民国はすでに中華人民共和国に継承されて消滅しており、国連で中華民国代表を名乗っていたのは、蒋介石の代表にすぎない」ということであった。蒋介石の率いる集団は、中国を追われた後も台湾を拠点として、「中華民国政府は中国の正統政府であり、かならず中国大陸を奪回する」と唱えていたのだから、中華人民共和国から見ると、叛乱分子である。国家は武力で叛乱分子を鎮圧する権利を持っているから、国際社会は台湾に対する中国の武力による威嚇や武力行使を強く批判できないのであろう。

1991年4月30日、李登輝総統は国民大会の決議に従って「中国の内乱」の集結を宣言した。しかし、それを不満とする国民党内の統一派は8月1日、中華民国国家統一委員会に次の決議を行わせた。

「海峡両岸はともに『1つの中国』の原則を堅持するが、双方の示す内容には違いがある。中共当局は、1つの中国は『中華人民共和国』であり、将来統一されたら、台湾はその管轄下の『特別行政区』の1つになる、と見なしている。一方、わが方の『1つの中国』は、1912年に成立し今日まで存続する『中華民国』を指し、その主権は中国大陸全域に及ぶが、現在の統治権は台湾・澎湖・金門・馬祖に限定されている。台湾は当然、中国の一部であるが、大陸もまた中国の一部である、と考える。」

中華人民共和国の公式版図には台湾が含まれており、中華民国の公式版図には中国大陸全体が含まれていると言うのである。(17、18頁の地図を参照、中華民国の地図にはモンゴル国までが含まれている。)これが「1つの中国論」であり、双方が相手国の領土を自国のものだと主張しているのだから、内乱は継続していることになる。台湾側がこの「1つの中国論」をとっているかぎり、中国はいつでも台湾の叛乱分子を武力で鎮圧する権利を持っているわけだ。だからこそ中国は、台湾に対して執拗に「1つの中国論」の堅持を要求しているのである。

1999年7月9日、任期の残りが少なくなった李登輝総統は、この情況を打開するために、台湾と中国の関係は「国家と国家の関係、少なくとも特殊な国と国の関係である」と語った。いわゆる「2国論」であり、中華民国の版図に中国大陸は含まれないことを法制化することによって、「1つの中国論」を打破することが目的であった。中国は猛り狂ったように李登輝総統を非難し、台湾侵攻を想定した大規模な上陸演習を繰り返して、今にも台湾を攻撃するような構えを見せた。驚いたクリントン米大統領は特使を派遣して李総統に、これ以上中国を刺激せぬよう強く勧告したので、李総統は目的を果たせなかった。翌年の総統選挙の直前に、中国が発表した「台湾白書」には、次のように書かれている。

「李登輝が『2国論』なるものを打ち出すと、中国政府と人民はいっそう断固たる闘争を推進した。いわゆる『法律』の形で『2国論』を定義づけようとする台湾の分裂勢力の活動に対して、中国政府の関係部門は、これはよりいっそう重大かつ危険な分裂のステップであり、平和統一に対する極めて重大な挑戦である、とはっきり指摘した。もし、この企みが成功すれば、中国の平和統一は不可能となる。」

ここには「平和統一は不可能となる」と書かれているが、武力による威嚇や武力行使なしに中国が台湾を統一することは不可能なのだから、「台湾側が法律の形で中国と台湾は別の国であることを明確にすれば、中国は台湾に対する武力による威嚇や武力行使ができなくなり、台湾を統一することは不可能になる」と解釈すべきであろう。そうなれば、台湾海峡の平和が確立されて、世界平和を脅かしている火種の一つが消滅する。これは米国の国益にも一致するはずなのに、米国はいつも中国の脅しに乗せられて台湾に圧力をかけるのだ。

2000年3月の総統選挙のときに中国は、独立派の陳水扁が当選したら戦争だ!、と言わんばかりの威嚇を行った。しかし、中国の脅しは裏目に出て、陳水扁が当選した。とは言え、国民党が割れて同じ統一派の宋楚瑜(得票率36.84%)と連戦(得票率23.1%)が争ったから、陳水扁が当選したのであって、その得票率は39.3%にすぎなかった。しかも国会では野党が圧倒的多数を占めていたから、陳水扁は非常に弱体な総統であった。統一派に加えて米国も「中国をあまり刺激するな」と圧力を加えてきたために、総統就任演説で陳水扁は、「中共が台湾に対して武力を発動する意図を持たない限り」という条件つきではあったが、次の5項目を公約した。(1)独立を宣言しない。(2)国名を変更しない。(3)「2国論」を憲法に盛り込まない。(4)統一か独立かという現状の変更に関する国民投票を行わない。(5)国家統一綱領と国家統一委員会を廃止しない。

総統に就任した陳水扁は、中国に対して低姿勢で繰り返し、話し合いを呼びかけたが、中国は無視した。国民党主席であった李登輝総統より弱腰だ、という陳総統批判が民進党支持者の中で高まってきた。2002年8月3日、このような批判に応えるかのように陳水扁総統は、「台湾と中国は1辺1国(それぞれ1つの国)である。台湾の未来または現状を変えるかどうかは、いかなる国、いかなる政党、いかなる個人も、われわれに代わって決定することはできない。私は衷心より住民投票の立法化の重要性と切迫性を真剣に考えるよう、みなさまに呼びかけ、鼓舞する。」と訴えた。ここでははっきりと陳総統は、「住民投票による現状変更」の可能性に言及している。中国はこの「1辺1国」論を激しく攻撃したが、陳総統は屈せず「1辺1国」論を繰り返し語った。

2003年2月、前回の総統選挙で激烈な抗争を演じた連戦と宋楚瑜が、2004年3月の総統選挙では総統候補と副総統候補として手を組む方針を発表した。半世紀も政権を独占してきた国民党にとって、4年間の野党暮らしは限界だった。今回の総統選挙で勝たなければ、二度と国民党に政権を奪回するチャンスが訪れないことも明白だった。だから、前回は連戦よりはるかに得票の多かった宋楚瑜が副総統候補に甘んじてまで連戦と組んだのだ。民進党側は、現職の陳水扁総統と呂秀蓮副総統の組み合わせである。

統一派が1本化したので、今回の総統選挙は統一派と独立派の対決であることが明確になった。統一派の基本スローガンは、蒋介石政権以来の「1つの中国」論であり、彼らは、「われわれの言う1つの中国は中華民国である」として、中華民国体制の堅持を主張した。独立派は、「1辺1国」の現実に立脚して、主権独立国家としての台湾の地位を確立すべきであると主張した。民進党の創立17周年の9月28日、陳水扁総統は、「2006年に国民投票で新憲法を制定して、2008年に施行する」ことを目指す方針を発表した。台湾憲法の制定によって、台湾が中国とは全く別の国であることを法的に明確化すると同時に、自由民主主義に基づく新しい国家体制を構築することが目的である。

統一派は「これは台湾独立の日程表を示したものであり、中国の武力攻撃を招く危険な政策だ」と陳総統を激しく非難し、中国も「いかなる犠牲を払っても、台湾の独立は許さない」と恫喝したが、これを機に陳総統の人気は急上昇した。危機感にとらわれた中国は、「台湾問題は中国の内政問題だ」と言い続けてきたにもかかわらず、台湾の選挙に干渉するよう、米国に協力を求めた。北朝鮮問題やイラク問題で中国の協力を必要としている米国は、中国の要求に応じた。12月9日、訪米した中国の温家宝首相と会ったブッシュ米大統領は、「現状を変える中国、台湾の如何なる一方的な決定にも反対する。現状を変えようとする台湾の指導者の最近の言動に反対する」と記者会見で語った。統一派は、「米国も陳水扁に反対している。彼が当選したら、中国が攻めてくる」と危機感を煽った。武器購入の問題をはじめとして、台湾の防衛には米国の協力が不可欠だから、このブッシュ発言は陳総統に対する大きな打撃になった。さらに12月29日、日本政府までがブッシュ発言に悪乗りして、台湾総統府に「陳総統の住民投票や新憲法制定を行うという発言が、中国をいたずらに緊張させる結果を招いていることを憂慮する」と申し入れた。喜んだ統一派は、「米国ばかりか、台湾と緊密な関係にある隣国の日本までが陳水扁に反対している」と宣伝した。

従来であれば、これほど厳しい情況におかれたら、陳水扁の当選の可能性は失われたことであろう。しかし、今回は違った。2月28日、1947年に国民党軍が3万人以上の台湾人を虐殺した2・28事件の57周年記念日に、台湾の北端から南端までを人間の鎖でつなぐ陳総統支持デモが行われた。220万人を超える人々が、台湾の西岸に並んで手をつなぎ、対岸の中国に向かって「台湾イエス、中国ノー」と叫んだのである。中国の脅しにも、米国の反対にも屈しないほど、多くの台湾人がたくましくなっていたのだ。

3月20日、総統選挙が行われ、陳水扁・呂秀蓮組が50.114%の得票率で勝った。僅差の勝利とは言え、得票率は前回より10.8%も増えており、台湾の世論がどちらの方角に向かっているかを明確に示している。勝者と敗者の得票率の差は0.22857%であった。2・28事件の57周年に行われた人間の鎖デモが決め手となり、この得票差で勝ったことから、陳水扁の当選は奇跡の勝利と呼ばれている。しかし、陳水扁総統は当選したものの、今回も中国の威嚇に加えて統一派と米国が激しく圧力を加えた。特に、兵器をはじめとして国防力を米国に依存しているので、台湾政府は米国の圧力に弱い。

5月20日の総統就任演説で陳水扁総統は、新憲法制定の選挙公約を中華民国憲法の改正に修正し、4年前の就任演説における5項目の公約を今後も守ると話した。米国政府は満足の意を表明したが、この総統就任演説は事前に米国の検閲を受けたものであったと言われている。

新憲法制定と中華民国憲法の改正では、天と地ほど違う。いくら大幅に改正しても中華民国憲法が残っている限り、台湾は主権国家になることはできないし、民主主義の制度を確立することもできない。これまでどおり中国は、台湾に対して武力で威嚇したり武力を行使する権利を持ち続けることになるのである。

米国は1971年の蒋介石と米国政府の失敗で生じた台湾の異常な「現状」を維持せよと要求しているが、これは米国が台湾問題を解決する戦略を持っていないことを意味している。中国が武力で台湾を攻略する能力を持つようになる前に、台湾のおかれている異常な情況を正常化しなければならないことを、米国に理解させることが必要である。

     9、台湾憲法制定運動の成功を祈る

台湾が世界の他の国々と平等な国際社会の1員となり、国際的な安全保障体制の下で台湾の平和と安全を確立するためには、台湾憲法を制定する以外に道はない。台湾憲法を制定することによってのみ、国際社会から疎外されている現状を打破して台湾の将来を切り開くことができるのだ。陳総統も話したように、それは「いかなる国、いかなる政党、いかなる個人」もできることではなく、主権者である台湾人民だけが持つ権利であり、台湾人民にしかできないのである。

李登輝前総統を中心として7月1日に開始された新憲法制定運動は、主権者の総意に基づいて台湾憲法を制定することを目指している。この運動が台湾全体を動かす国民運動となるためには、もっと多くの大衆が次のことを認識する必要があると思う。

  1、台湾が国際社会から疎外され、中国が文攻武嚇を繰り返す状態があまりにも長く続いているために、それは国際社会において許されてはならない異常な状態であるにもかかわらず、多くの人々がそれを異常と感じなくなっている。まず、広く大衆がこの異常さを認識することが必要である。この異常な状態は天与のものではなく、台湾側がその原因をつくったのだから、台湾でその原因を取り除かなくてはならない。

  2、中華民国は中華人民共和国に継承されて消滅している、というのは1971年以来の国際社会の認識であり、それは国際法上も正しい認識である。従って、中華民国憲法を用いている限り、台湾は国際社会に参入できず、中国の文攻武嚇をやめさせることもできない。台湾憲法を制定して中華民国憲法を破棄すれば、この問題は解決できる。

  3、自分たちの憲法を制定することは、主権者である台湾人民だけが持つ権利である。民主主義とは、主権者が直接に制定した法か主権者が選出した代表によって制定された法に従うことである。従って、主権者が制定した法ではない中華民国憲法が存在する限り、法的には台湾は民主国家でない。台湾の民主制度を確立するためにも、台湾憲法の制定が絶対に必要である。

  4、人民自決の権利は、すべての人民に認められているもっとも基本的な人権である。台湾憲法の制定は台湾人民の自決権の行使だから、民主主義と人権を尊重する世界の人々は、台湾憲法の制定を支持するはずである。

広く台湾の大衆に以上のような点が理解されたら、台湾憲法の制定は決して困難ではないはずである。また、台湾憲法制定の意義を国際社会に説明すれば、大多数の世界の人々がそれを支持すると思う。台湾憲法制定運動の成功を祈る。(著者はアジア安保フォーラム幹事)




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