background movie
HOME ブログ翻訳
powered by 3ET
powered by 電脳PC生活
プロフィール

阿貴(アークエイ)。かくすればかくなることと知りながら、やむにやまれぬ大和魂。

Author:阿貴(アークエイ)。かくすればかくなることと知りながら、やむにやまれぬ大和魂。
図4
台湾旗


よろしければクリック!


おすすめ書籍
李登輝 本
お申し込みはhttp://www.ritouki.jp/cgi-bin/enquete/form0028.reg


おすすめ書籍
李登輝先生
HPからお申込み送料無料でお届け
http://www.ritouki.jp/


おすすめ書籍
りん先生
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4890632018.html


おすすめ書籍
永山
http://books.livedoor.com/item_detail/niitaka161208/524b&isbn=9784944235384.html
定価1680円(税込み)。版元の「まどか出版」へ「著者のブログで見た」と書いたメールで送ると、「送料無料+後払い」でお買い求めできます。(住所、名前、電話、書名、冊数もお願いします)(まどか出版)
http://mamoretaiwan.blog100.fc2.com/この本の著者のブログ



メルマガ「台湾の声」の購読を!
台湾・日台関係情報のほか、日本における台湾独立建国運動や台湾防衛運動の情報を毎日配信。
http://www.emaga.com/info/3407.html

最近の記事 最近のコメント 最近のトラックバック 月別アーカイブ カテゴリー
ブロとも申請フォーム HS月別アーカイブ

青森李登輝友の会ブログ

日本李登輝友の会の青森県支部です。略して「青森李登輝友の会」です。 皆様宜しくお願い申しあげます。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

謀略宣伝「10・25台湾返還」の虚構を破れ 台湾研究フォーラム会長 永山英樹05.10.22.

謀略宣伝「10・25台湾返還」の虚構を破れ


               台湾研究フォーラム会長 永山英樹

■日本は台湾を「返還」などしていない

日本では多くの書物が、「日本は敗戦により、台湾を中国に返還した」と記しているが、それは重大な誤りである。おそらく日本がポツダム宣言(正確にはポツダム布告)の受諾やミズーリー号上の降伏文書調印を通じ、「中国への返還」を打ち出したカイロ宣言(正確には米英中首脳の単なる無題のプレスリリース)の履行を誓約した事実もあるため、「返還された」とする中国(中華民国、中華人民共和国)の宣伝を真に受けたものとも思われるが、実際には日本はカイロ宣言を履行することなく、サンフランシスコ講和条約で台湾に関する主権を放棄しただけであって(放棄後の帰属先は決せず)、そこを中国に「返還」した事実はないのである。たしかに敗戦後、台湾は中華民国によって統治されたが、それは日本から「返還」された結果ではなく、この戦勝国が勝手に「強奪」したとしか言いようがない。

最近、東京書籍が発行する中学校用教科書『新しい社会科地図』が、台湾を中華人民共和国の領土と表記していることが問題になっているが、その所載の資料地図においても、台湾については「1945 中国へ返還」と記されている。そこで日本李登輝友の会機関誌『日台共栄』が、同社編集部にその誤記を指摘したところ、先方は「昭和20年10月25日、台北で日本側が降伏文書に署名し、それ以降台湾は日本の領土ではなくなっている」として、記述は正確であると主張した。この「10・25台湾返還」説について、日本人はこれまであまり関心を持ってこなかっただけに、東京書籍はずいぶん詳しく調べたものだと感心したわけだが、実際には中国人の主張を無批判に引っ張り出してきただけではないかとも思う。

事実、中華人民共和国は最近、「台湾返還」という作り話の根拠として、従来の「カイロ宣言」に加え、この「10・25」を強調するようになっている。その背景には、今日の台湾懐柔路線により、日本を降伏させた中華民国の歴史功績も認めるようとの事情変化があるようだ。履行されなかった「カイロ宣言」より、実際に調印された「10・25降伏文書」の方が説得力ありとも考えているかも知れない。とくに今年の「10・25」は「台湾光復60周年」に当たることから、国内ではそれを記念する大掛かりな行事を人民大会堂などで行うという。この国の政府によれば、抗日戦争勝利の栄光を海峡両岸の中国人がともに想起しながら、台湾独立勢力を封じ込め、平和統一を促進することが狙いだそうだ。

だが日本が台湾を「返還」していない以上、どのような根拠を持ち出そうとも、すべては虚構であるとしか言いようがないのである。そのような虚構を振り回して台湾の住民自決権を否定し、その島の併呑を正当化しようというのが中国という国であるとの認識を、日本人ははっきりと持つべきだろう。

そこで「10・25台湾返還」説とは何かだが、それは東京書籍がいうとおり、「10月25日、台北で日本の降伏式典が行われ、安藤利吉第十方面軍司令官兼台湾総督が降伏調印し、これを受け陳儀台湾省行政長官がラジオ放送を通じ、台湾が祖国中国に正式に復帰(光復)を宣言した」といったものだ。この日を境に「台湾は祖国の懐に戻った」というのは、台湾人の「常識」にもなっている。かつて10月25日はそれを記念する「光復節」という祝日だったから、みなが知っているというわけだ。

ではこの降伏式典において、日本は本当に台湾という領土を中国に割譲(返還)したのだろうか。明治28年、下関条約によって台湾が清国から日本へ割譲された例を持ち出すまでもなく、領土の移譲は必ず条約に基づかなければならないということは、中国人も認めている国際社会の鉄則である。それであるならこの式典で、いったいいかなる条約が締結されたのかということだ。

■マッカーサーは「台湾を取れ」とはいわなかった

そこでまずは安藤大将が、台北で降伏調印するまでの経緯を眺めてみよう。

昭和20年8月15日に終戦となり、同年9月2日、日本の政府と大本営はミズーリー号上で降伏文書に調印した。この文書はあくまでも日本の軍隊の無条件降伏、敵対行為の終止、連合国最高司令官の命令遵守、ポツダム宣言の履行確約等々を内容とするもので、「台湾返還」などの領土変更の実施を直接命じるものではなかった。そしてこの調印を受け、連合国最高司令官総司令部(GHQ。最高総司令官=マッカーサー)は日本の武装解除、戦闘停止などを命じる「一般命令第一号」を日本側に手交した。そこでは日本本土ならびに外地における日本軍の降伏すべき相手が規定されていた。たとえば日本本国や南朝鮮にあるものはアメリカ太平洋方面陸軍最高司令官に、満洲、北朝鮮にあるものはソ連極東最高司令官に降伏すると定められており、「支那(満洲を除く)、台湾および北緯16度以北の仏印内」にあるものに関しては「蒋介石総統」に降伏する、とされていた。

このマッカーサーの一般命令第一号を受け蒋介石は9月9日、中華民国の首都南京において「中国戦区受降式(降伏式)」を行った。支那派遣軍総司令官岡村寧二大将はそこにおいて降伏文書に調印した。同文書の内容は、岡村大将が中国陸軍総司令官何応欽大将(中国戦区最高司令官蒋介石特派代表)に対し、「本官は直ちに域内(満洲を除く中国、台湾および北緯16度以北の仏印のこと)すべての日本陸海空軍の各級司令官およびその所属する部隊、ならびに統制する部隊に対し、蒋委員長が特派する受降代表の中国陸軍総司令官何応欽大将、および何応欽大将の指定する各地区の受降主管に降伏することを命じる」と誓約するものだった。その調印を受けて蒋介石は岡村大将に対し、マッカーサー命令の完全なる遂行を保証するよう指示する「第一号命令」を下している。

そしてそれにより「何応欽大将の指定」した台湾地区の「受降主管」である台湾省警備総司令官の陳儀大将(のちの二・二八事件で歴史に悪名を残す人物)は10月5日、台湾の第十軍方面軍司令官である安藤大将に対して「本人は中国戦区台湾省警備総司令の地位を以って、中国陸軍総司令官何応欽大将より中国戦区最高司令官蒋(介石)特級大将の命令を受け、台湾省ー澎湖を含むーの日本高級指揮官およびそのすべての陸海空軍と、その補助部隊の降伏を受ける」と記された「中国戦区台湾省警備総司令部備忘録」を手交し、そこに規定するところの日本軍の降伏準備作業を即日開始するよう命じた。またそこには「降伏実施の正式手続、時間、地点については別に通知する」とあった。かくして迎えるのが10月25日午前の台北における降伏式典である。

このように9月9日の南京における降伏式から10月5日の備忘録手交に至るまでの中華民国側からの命令は、あくまでも日本の軍隊の降伏に関するものであり、マッカーサー命令に基づくものとしては、何ら瑕疵のないものだったといえよう。だが台北での降伏式典では、安藤大将が降伏調印を行った直後、明らかにマッカーサー命令を超越する、中国側独自の命令が同大将に対して下されるのである。

■中国の命令一つで領土変更が行えるか

それは陳儀が「中国戦区主管」としてではなく、「台湾省行政長官」として発した「第一号命令」である。安藤大将が調印して「台湾の中国返還」を決定付けたとされるものは、その命令の受領書だったのだ。

同命令では、第一項で岡村大将がすでに南京において何応欽大将に無条件降伏を行っているとの事実が述べられ、それを受けた形で第二項では次のようにある。

「中国戦区最高司令官兼中華民国政府主席蒋(介石)および何(応欽)総司令の命令、および岡村寧二大将に宛てた各備忘録に従い、本官および本官が指定する部隊および行政人員は、台湾、澎湖列島地区の日本陸海空軍、およびその補助部隊の降伏を受け入れ、それとともに台湾、澎湖列島の領土、人民、統治権、軍政施設および資産を接収する」

そしてその上で第三項において次のような命令を発するのである。

「貴官は本命令を奉じた後、台湾総督および第十方面軍司令官などの職位を一律に取り消し、『台湾地区日本官兵善後連絡部長』と改称し、本官の指揮を受け、行政、軍事等の一切の機関、部隊に本官の命令、訓令、規定、指示を伝達する以外は、いかなる命令も発してはならない」

要するにこの命令は、中華民国が台湾にある日本軍の降伏だけでなく、台湾という日本の領土自体もあわせて接収するというものだったのだ。これは下に掲げる台湾総督府残務整理事務所の「台湾統治終末報告書」(昭和21年)の一節が指摘するとおり、明らかな国際法違反だった。

「従前の国際慣例よりいたしまするときは日本領土たる台湾の割譲は将来締結せらるべき媾和条約に依り正式に確定せらるべく其の間に於ては中国の保障占領の下間接統治形式に依る軍政施行せらるるに非ずやとの予想も行われたのでありますが此の命令に依り国際法上の当否は兎も角として中国の一方的宣言を以って台湾の領土、人民、治権は十月二十五日を画し、中国側の接収する処となり本島は中国の版図に帰し且陳儀長官に依る直接統治を実施せらるることヽなった次第であります」

国際法の常識を弁える台湾総督府にとって、このような命令一つで「台湾割譲」が取り極められるとは寝耳に水だったようだ。だが敵国の占領下にある以上、総督府はおろか、本国政府にとっても、これに疑義を挟むことすら許されず、唯々諾々と従わざるを得ない状況だった。だからといって、このような領土変更が有効であるはずがないのである。条約として問題があるから無効だというのではない。そもそも条約などなかったのだ。

台北での降伏式典が終了するや、陳儀は直ちにラジオ放送を通じ、「本日より台湾および澎湖列島は正式にあらためて中国の版図に入り、あらゆるすべての土地、人民、政事は中華民国国民政府の主権下に置かれた。この歴史的な意義を有する事実を、私は中国のすべての同胞および世界に知らせる」との宣言を行った。実にうまくできた演出である。

なお安藤大将は翌年4月、戦犯として上海へ移送されるや、獄中で服毒自決を遂げている。

■「当事者」である日本は歴史の真実を訴えよ

勝者は敗者に対して万能だとするのは中国人特有の論理だが、このような不法行為に、なぜ連合国から何の咎めもなかったかというと、それは戦後復興や冷戦という新局面への対応に忙殺されるなか、アメリカを始め、何れの国もこの問題にほとんど関心を持つゆとりがなかったからだ。当時、アメリカ政府の中国問題における最大関心事は国共内戦の問題であり、台湾という小さな島がどうなろうと、ほとんど興味を抱いていなかったといわれている。

なにしろ事後法で日本の指導者を裁くという極東国際軍事裁判(東京裁判)が連合国によって行われるなど、敗戦国に対しては法も正義も度外視された当時のことである。中国の無法論理がまかり通っても、何の不思議もなかったのだ。

だがその後、いざ日本との講和という段階に入ると、台湾の新たな帰属先という現実問題が連合国の間で議論の的となり、上述のとおり最終的にはどこに帰するかは未定のまま、日本がこれを放棄することとなったのだが、ここで留意するべきは、各国がこの決定を下すに当たり、「10・25台湾返還」なるものを一切考慮しなかったということだ(当時、「中国政府」として国共両政府が並立するという複雑な情勢から、両政府とも講和会議には招かれなかった)。さらには「台湾返還」を既成事実と主張する中華民国も、実は後日の日華平和条約において、この決定を追認せざるを得なかったのである。つまり国際法の前では、「台湾返還」なる政治フィクションはまったく通用しなかったというわけだ。

しかし内戦に敗れ台湾に逃げ込んだ中華民国政府は、この島を不法占領しながらも、連合国から排除されるということはなかった。アメリカ政府などはその占領を、連合国(国連)の委任統治との位置付けも行っていた。これこそが世界に「台湾は中国の領土」という誤解を与えた最大原因だろう。一方中華民国もそれに乗じ、自らの不法占領の事実を糊塗するため、「10・25」を強調する宣伝を国内に対して大々的に行い続けた。

もともと「光復」当時の台湾人の多くは、日本統治よりも遥かに素晴らしいであろう中華民国統治に期待し、その実現を喜んだ。そしてその後の台湾人迫害時代を迎えても、多くは「光復」の違法性を疑う機会は与えられず、そうした誤解の状況は今日もほとんど変りはない。もっとも民主化後に台湾人意識が高揚すると、中国人支配への反撥から、「光復」は戦後の受難の時代の始まりとして批判的に捉えられ、あるいは「終戦」とも言い換えられるようになった。「光復節」も休日から外され、人々の「10・25」への関心はすっかり薄れている。その代わり今日では、中華人民共和国がさかんにその日を持ち出しては、「台湾は中国領土だ」と強調するという状況になっている。

以上のように「台湾返還」説の宣伝は、中国人の戦後の大謀略である。中国人の謀略の凄いところは、すぐにばれるウソでも、絶えずそれが事実であると喧伝し続け、周囲をすっかりまるめこんでしまうといったところか。

だが、繰り返すが、台湾は中国などに「返還」されてはいない。よって台湾は中国に併呑される筋合いなどまったくないのである。だが長年の政治宣伝で、そこまで気付く台湾人が余りにも少ないため、憂慮に堪えなくなるのである。その一方で問題なのが日本人である。日本人はこれからも中国人のウソに騙され続けるのだろうか。そして台湾併呑に向けて猛進する中国の動きを他人事のように傍観し続けるのだろうか。しかし忘れてならないのは、日本は「返還」問題での当事国であるということだ。

「10・25」の不法演出から60年を迎える今、日本が行わなければならないのは、「我が国は台湾を中国に返還していない。よって台湾は中国の領土ではない」との真実を内外に訴えることではないのか。戦勝国による占領など、とうの昔に解除されているのだから、それは当然やるべきことなのだ。
             
                        (17.10.19)



『台湾の声』http://www.emaga.com/info/3407.html『台湾の声』バックナンバー http://http://taj.taiwan.ne.jp/koe/『日本之声』http://groups.yahoo.com/group/nihonnokoe Big5漢文
スポンサーサイト

COMMENT

EDIT COMMENT

非公開コメント

プラグインの説明
このテンプレートは、プラグイン1・2・3に対応しています。

最上部のメニューバーがプラグイン1です。マウスオーバーで展開するメニューになっていますので、お好みでプラグインを設定してください。「HOME」のような普通のリンクも置けます。

←のエリアがプラグイン2です。有効範囲幅は180pxです。

このエリアがプラグイン3です。有効範囲幅は540pxです。
サイズの大きなプラグインに適しています。

★テンプレート名で検索すると、作者のブログにより詳しい説明があるかも知れませんし、無いかも知れません。

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。