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日本統治時代 (台湾)

日本統治時代 (台湾)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
台湾の日本統治時代は、日清戦争の敗戦に伴い清朝が台湾を日本に割譲した1895年(明治28年)4月17日から、第二次世界大戦(大東亜戦争)の降伏に伴い日本が台湾の実効支配を喪失した1945年(昭和20年)8月15日までの約50年間を指す。

なお、台湾では政治的立場や、歴史認識に対する観点の相違などによって、日本統治時代をそれぞれ日治時代、日據時代、日本殖民時期と呼称しているが、日據時代と表記する場合は日本統治時代に対し特に批判的な意味合いがある。

目次 [非表示]
1 台湾民主国の建国と武装抗日運動
2 台湾統治政策の変化
3 現地住民による政治運動
4 日本統治の負の面
5 戦後の評価
6 関連項目



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台湾民主国の建国と武装抗日運動
1895年に日清戦争の敗北が決定的になった清朝は、戦争の早期講和を目指して同年4月17日に日本と下関条約を締結し、その際に日本が求めた台湾地域(台湾島と澎湖諸島)の割譲を簡単に承認した。

しかし台湾に住む清朝の役人と中国系移民の一部が清朝の判断に反発して「台湾民主国」を作り、日本への割譲に抵抗した。しかし日本軍が台北への進軍を開始すると、傭兵を主体として組織された台湾民主国軍はあっというまに総崩れになり、台湾民主国も崩壊した。だがその後も農村を中心に日本への抵抗運動は続き、日本軍はそれに対し厳しく対処した。 1915年の西来庵事件を最後に、漢民族による武装抗日運動は収束した。

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台湾統治政策の変化
台湾の統治に際しては総督府(台湾総督府)がおかれ、台湾総督がこれを運営した。台湾総督には陸海軍大将・中将が任命され、独立運動や抵抗運動に対して強い圧力をかけていた。そして次第に政情が安定化するにつれ文官が統治における主導権を握るようになった。

台湾は日本の初めての海外領土であり、日本政府はかなりの情熱と資金をこの島に注いだ。民政長官後藤新平をはじめとした人材もその一つであり、日本は欧米から一目置かれるような統治経営を目指していたと言われる。

そのため、ほぼ本国から省みられることのなかった清国領土時代に比べると、統治時代を通して台湾のインフラは飛躍的に整備されることになった。現在の台湾の教育・民生・軍事・経済の基盤は当時の日本によって建設されたものが基礎となっている。

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現地住民による政治運動
1914年、台中霧峰の著名な土着地主資産家である林献堂は、来台した板垣退助と力を併せ、在台日本人と同等の権利を求める台湾同化会を設立する。しかし、板垣が台湾を離れると、台湾総督府により解散させられてしまう。

その後、台湾総督府の専制を認めた六三法の撤廃を求めて啓発会が、その解散後は新民会が結成される。知識人階級の間から「六三法撤廃は台湾の特殊性を否定することになる」という批判が出始めると、台湾に議会設置を求める台湾議会設置運動が始まる。1921年、第一回台湾議会設置請願書を大日本帝国議会に提出すると、以降13年15回にわたって継続的に行なわれた。

1921年には、「台湾文化を助長する」を目的として、林献堂を総理として台湾文化協会が設立される。台湾文化協会は、各地で講演会や映画上映などを行い、大衆啓蒙運動を展開した。しかし1927年、左派が協会の主導権を握ると、右派は相次いで離脱し、台湾における政治運動は分裂することになる。台湾文化協会は事実上台湾共産党の支配下に入り、台湾共産党が一斉検挙されると同時に台湾文化協会も崩壊した。

離脱した右派は、その後台湾民衆党を結成。しかし、台湾民衆党も蒋渭水により左傾化すると、右派は台湾の地方自治実現を単一目標に挙げる地方自治連盟を結成した。1937年、日本統治期最後の政治団体である地方自治連盟が解散に追い込まれ、「台湾人」による政治運動は終わりを告げた。 その後は、総督府により「皇民化」政策が推し進められることになるのである。

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日本統治の負の面
戦争になると台湾の豊富な食料物資は内地に供出せられ、高雄には飛行基地が建設され、内地の日本人と同様に台湾人も兵士や労働力として使用された。また日本人学校と台湾人学校の区別、チャンコロ(清国奴)という蔑称や支那人=豚観に代表されるような差別意識も一部に存在していた。(日本政府は長らく台湾人兵士に対し、国交がないなどの理由で賠償・補償を拒んできた)

なお皇民化教育・創氏改名(本来、「創氏・改名」は朝鮮総督府の政策を指し、台湾では「改姓名」が正しい。しかし内容はほぼ同じである。)については「日本人と同等に扱うことで差別をなくす」ことが建前であったが、その考えは台湾人の人権を尊重する姿勢に基づくのではなく、台湾文化を否定し、一方的に日本文化に同化することを目指したものであったので、結局は「日本文化優位」として台湾文化・台湾人への軽視を強める結果に終わった。

また当時理蕃政策といわれた原住民に対する統治は、その過程において「霧社事件」など大小の蜂起が起こったが、最終的には原住民の懐柔に成功した。

1942年には台湾で陸軍特別志願兵制度が始まり、1944年には徴兵制も実施され、約20万人余りの台湾人日本兵(軍属を含む)が日本軍で服務し、約3.3万人が戦死または行方不明となった。

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戦後の評価
台湾では戦後、国共内戦の結果やってきた中国国民党が、それまで台湾に住む本省人を弾圧(白色テロ)した。1947年におきた二・二八事件はそのなかでも最大のものである。また大陸反攻を国是とし、軍事を優先とされたため、台湾省内のインフラ整備は後回しにされた。このため一部の本省人は「犬(煩いかわりに役には立つ)の代わりに豚(食べるばかりで役たたず)が来た」と大陸からやってきた人間を揶揄し、日本の統治時代を懐かしんだ。

前総統の李登輝は国民党の独裁体制を廃し、台湾内での民主化を導いた。彼が総統の時代に作られた台湾の歴史教科書「認識台湾(歴史編)」では、従来地方史として軽視されていた台湾史を本国史として扱い、特に日本の統治時代を重点的に論じた。ここでは日本の統治時代を、『「苛烈な」時代ではあったが、今現在の台湾があるのは統治時代があったからだ』と総括した。

総統引退後の李登輝は、台湾の中華民国(中国)からの独立を訴えた。その中で彼は国民党の批判にあわせ、公然と日本の統治政策を評価し、支持者もそれに準じた。

その一方で台湾は中国の一部であると認識する勢力(親民党・国民党)は李登輝らの動きを売国的であると批判し、日本統治時代についても日本による搾取に過ぎなかったと位置付けている。

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関連項目
日本統治時代 (朝鮮)
台湾ニ施行スヘキ法令ニ関スル法律

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前の時代:清朝統治時代 台湾の歴史 次の時代:南京国民政府統治時代

"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%B5%B1%E6%B2%BB%E6%99%82%E4%BB%A3_%28%E5%8F%B0%E6%B9%BE%29" より作成
カテゴリ: 台湾の歴史 | 日本の国際関係史

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