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阿貴(アークエイ)。かくすればかくなることと知りながら、やむにやまれぬ大和魂。

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【台湾紀行】 羽鳥明子

【台湾紀行】台南市政府と許文龍氏宅を訪問した  


シニアネットより転載 (羽鳥直之主宰)             

                           羽鳥明子

以前、私は日本語を流暢に話す台湾のお年寄りの方たちに、戦争での植民地化の影響力を見せられているようで、日本人であることに気まずさを覚え、また申し訳なさを感じていた。その台湾の方たちが「生誕100年を記念して羽鳥又男おじいさんの胸像を台湾で作ってくれる」という話しを聞いたのが、4年前だった。信一さんの祖父で一時は同居しており小学生の頃、習字を教えてもらった記憶があるそうだ。もう30年前に亡くなられている。戦時中、台南市の市長を務め、台南の方から感謝されていると聞いてはいたのだけれど、具体的にはどういうことをされていたのか、よくは理解していなかった。

でも、ともかく一度は家族みんなでお祖父さんの胸像を拝みに行かなくては!とずーっと思っていた。そして、ようやく、このゴールデンウィークに旅立つことができた。

 まず、台南市政府に、現市長 許添財氏を表敬訪問すると、想像をはるかに越えた歓迎を受けた。カメラや報道関係者に囲まれ、地元のテレビに映ったり、翌朝の新聞に載せてもらったり。  60年も前の日本統治時代の末代市長(最後の市長)として今でもまだ讃えられる功績とは・・・お祖父さんってどんな人だったんだろう?と益々驚いてしまった。

胸像を作ってくださったのは許文龍(こ ぶんりゅう)さん(液晶やABS樹脂会社で世界一の奇美実業の創始者・李登輝総統の友人でもある・昭和3年生まれ)。大きな工場を経営し、また多くの素晴らしい芸術品を納める奇美博物館も持っておられる。胸像のお礼を述べに訪問することになった。大金持ちのご老人のお宅は、意外にも繁華街にひっそりと建つ小さな、どちらかというと質素なお家だった。お茶だけを頂いたが、小学生の亮子、真子にはアイスクリームのおまけがついていた。華奢な方に見えたが、1時間半以上に渡って、日本語で、羽鳥の家族(子・孫・ひ孫の3代)に日本に対する熱い想いを話し続けてくださった。

許 文龍氏のほとばしる様に話された一方的にとも言えるお話を、流れに沿って箇条書きにすると

1)羽鳥又男台南市長は戦時下のとても苦しい市の予算運営だったにもかかわらず、台南にある文化財(孔子廟(こうしびょう)・赤(せつ)かん楼(かんろう)の修復)を守ってくれた。
2)植民地の統括者なのだから、ともすれば台湾人を見下すようなご時世に、日本人も台湾人も平等に考えて分け隔てなく接していた。
他国人が造ったものでも自国の物と同じように考えて重要な文化財を保護してくれた。
例えば 台湾で最初に鋳造された由緒ある銅製の開元寺の鐘が戦時の金属供出令状の対象となったが、溶鉱炉に送り込まれる寸前に知り、ただちに寺に送り返し救った。当時の状況下では国賊と言われても無理はなかっただろうに。
赤嵌楼、孔子廟、安平のジェーランジャ城などを修復して旧い器物なども保存してくれた。
懐の深い人だった。そういう人を忘れてはいけないと思う。だから胸像を作ったのだ。

ところで、お祖父さんの胸像は赤嵌楼のとてもいい場所に置かれていた。
羽鳥又男記述の日本文の石碑は、一度国民党政権下に埋められていたのだが2002年に台南市政府により掘り起こされて再建されていた。亀裂が入り所々にセメントが残っていた。
ちなみに台南市は「台湾の京都」といわれるように、かつての都(みやこ)であり、重要文化財が数多くある市なので、お祖父さんは守りたかったのだと思う。

3)日本は200年ほど前からの西欧(の植民地化)に追いつきたい志で台湾に対して接していたのではないか?と思う。しかし日本人は台湾人と同じレベルで暮らし、例えば私の家の2軒先は日本人の家というように隣近所での付合いがあった。オランダの植民地時代のインドネシアではオランダ人はけっしてオランダ語を教えず、居住地もオランダ人と現地人とは別々。立派な施設はあるが、それはオランダ人専用のものであった。

4) 医療や衛生を整え、台湾人の生活を良くしてくれた。昔の日本人には立派な人がたくさんいて、今の台湾の基礎を作ってくれたのだ。だから決して「日本人は植民地で悪いことをしていた」などと思わないでほしい。
あまり卑下してほしくない。
例えば後藤新平氏は任官されて渡台してくると、大衆の益になる行政を行い、新渡戸稲造氏を米国より招き、さとうきびの改良を行ない、砂糖を台湾の産業の柱とした。
 八田与一氏は東洋一の烏山頭ダムを造成し、これにより農民の生活を安定させた。
日本人は農水産を興し運河を造成し、魚田をつくり、塩田も開発し今日の台湾経済の基礎を整備し、公共投資をした。台湾の上下水道は日本本国より立派で公共施設も立派だった。また教育の向上にも力を注いだのだ。

5) 戦後 時を経るにしたがって日本時代の良さに気付かされている。
お金が無いのに立派な総督府をつくったり、都市計画をしっかりして近代的な都市作りをしたのは日本人の見栄だったのだろう。朝鮮半島においても日本は同じような政策をとってきた筈なのに感謝されていないのは残念なことだ。反日感情が政治で増幅されている。台湾の親日感情は民衆からの自然発生的なもので政府主導のものでははない。

6) 外国人はともかく、今の日本人がこういう過去の実情を知らないのは問題である。もっと知るべきで、「日本人はとても立派だった」と心から言いたい。 
今の若い日本人に知らせたい。そして日本と台湾はもっと仲良くしてほしいと思っている。

感想

今回、「お祖父さんの胸像」のご縁により、台湾と日本の関係を僅かながら理解することができた。
なにより「台湾から見た日本人感」を得られて、その素晴らしさを知って安心し、反対に励まされた。戦争だから悪いことも沢山あったはずだけど、それでも台湾の人が、当時日本が台湾にもたらした生活の向上を感謝して、今でも年配の方は日本に親しみを持ってくれていることを知った。特に許文龍氏の話は、私にはとても貴重で、この上なく感謝したい内容だった。

自分がどこを歩いているのか分からないで、迷っているような時に、不意に隣の人から突然、いいよ、こっちだ、頑張れ!と肩をポンとたたかれたような衝撃があった。
嬉しかった。また今でも過去でも、いいことも悪いことも含めてもっと「日本が他国に何をしたか、しているか」を日本人は遠慮なく知るべきなのだと痛感した。

台湾の人は、「植民地時代」ではなく、「日本時代」と言っていた。台湾には原住民族がいた。6000年以上も前から台湾に住んでいる人たちで現在では11種族に分類される人たちだった。固有の言語文化をもつ人たちで、台湾は中国大陸から人たちだけではないことなど、これまで全く知識の持ち合わせがなかった。
私の台湾旅行報告の最後に街の印象を加えよう:

街の印象:許文龍氏のいうところの「日本人の見栄」と言われた功績なのか、あの時代の台湾の道路幅は広く、公共の建物はたしかにゆったりと広く、東京よりずっとゆとりがある。                    


『台湾の声』  http://www.emaga.com/info/3407.html


『日本之声』  http://groups.yahoo.com/group/nihonnokoe (Big5漢文)
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