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阿貴(アークエイ)。かくすればかくなることと知りながら、やむにやまれぬ大和魂。

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青森李登輝友の会ブログ

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台湾精神と日本精神 2002-12-15

台湾精神と日本精神 2002-12-15
林建良
李登輝/台湾 前総統  2002年12月15日

2002年12月15日「日本李登輝友の会」設立大会記念講演

台湾連通網より李登輝前総統記念講演会の画像(およそ37分)を収録―→クリック ※ADSLが必要です。

日本李登輝友の会の阿川弘之会長、副会長の皆様、理事の皆様、ご来賓の皆様、今日は。ただ今ご紹介いただきました李登輝であります。本日の日本李登輝の会の設立にあたり、心からのお祝いを申し上げます。台湾と日本は地理的に近いだけではなく、これまで両国民の間ではさまざまな、そして豊かな交流が行われてきました。私はこのような得難い交流の維持と発展を目指すという貴会設立の主旨に全面的に賛同するものであります。

さて、このように密接な交流が行われてきたことから、両国民には文化的にも精神的にも非常に近いものが感じられます。しばしば台湾人は日本人に、あるいは日本人は台湾人に、それぞれ親近感を持っていると言われるのもそのためなのでありましょう。これは国際関係の上においてはとても得難いことであります。このたび貴会の事務局から「台湾精神と日本精神」と題する講演を依頼されたわけですが、そのようなことからもこのテーマは両国の、将来におけるより良き関係を考える上で、きわめて重要なものかと思われます。そこで本日は、台湾人と日本人が共有するところの、精神面における特性なり長所なりを取り上げ、そのようなものを今後いかに発展、発揚させて行くべきかを、会場にお集まりの皆様とともに考えることができればと考えております。

さて、日本及び日本人特有の精神は何かと問われれば、私は即座に「大和魂」、あるいは「武士道」であると答えるでしょう。「武士道」は日本人にとっては最高の道徳規範です。しかもそれは日本人にだけでなく、世界にとってもきわめて貴重な財産であると考えているのです。現在人類社会では、台湾海峡やパレスチナ、アフガニスタン、イラク、朝鮮半島など、各地において危険な動きが増大しています。更に政治や軍事の面だけではなく、経済の面においても、世界同時不況の予兆が高まっています。このような危機的状況を乗り切っていくためには何を精神的指針とすべきかを考える時、私は迷わず日本の「武士道」を挙げたいと思います。「武士道」とはそれができるほどの、人類最高の指導理念であると言っても過言ではないのです。しかしまことに残念ながら、世界が今最も頼りとするべき日本では、「武士道」も「大和魂」も一九四五年の終戦以降はほとんど見向きもされず、足蹴にされている状況にあります。もちろんその背景には日本人の戦争の「過去」に対する全面否定、つまり自虐的価値観というものが大きく作用しているのでしょう。「武士道」などと言えば非人間的、反民主的な封建時代の亡霊であるかのように扱われている状況です。しかし日本を苦悩させている学校の荒廃や少年非行、兇悪犯罪の増加、失業率の増大、官僚の腐敗、指導者層の責任回避と転嫁などといった、国家の根幹をも揺るがしかねない今日の由々しき事態は、武士道という道徳規範を国民精神の支柱としていた時代には決して見られなかったことなのでした。つまりこれらの諸問題は、戦後の自虐的価値観とは決して無関係ではないということなのです。ですから「武士道」の否定は、日本人にとっては大きな打撃と言わざるを得ません。もちろんそれは同時に、世界の人々にとっても大きな損失であると言うこともできるでしょう。

私は台湾人であり、日本人から見れば外国人ですから、日本に対してここまで言うのはどうであろうかという気持ちもありますが、ただ一人の人間として、やはり良いものは良い、悪いものは悪いと言うべきだと考えております。それに私は二十二歳までは日本人であり、日本の教育も受けておりますから、日本の良いところはよく知っているつもりです。だから本日は私の信じるところをはっきりと述べてみたいと思います。

「武士道」とは日本人の精神であり道徳規範だと言いましたが、それは単に精神、生き方の心得であるというだけではなく、日本人の心情、気質、美意識であると言って良いかと思います。更に言えば勇気や決断力の源泉になるものであり、そして生と死を見つめる美学、哲学だとも言えます。

私は日本の台湾統治が始まってから約四半世紀が経った一九二三年、現在の台北県三芝郷に生まれました。ですから生また時から日本国民として扱われていた訳です。当時の日本の教育システムは実に素晴らしいもので、古今東西の先哲の書物や言葉に接する機会を、私たちにふんだんに与えてくれるものでした。また「教育勅語」には、「人間はどのように生きるべきか」という哲学的命題から「公」と「私」の関係についての指針が明確に記されていました。そのため旧制中学、高校時代は学校教育や読書の影響もあり、自己修練の気持ちが強くなるとともに、「いかに生きるべきか」から、更には「死とは何か」という大命題までを考えるようになったのです。人間は「死」というものを真剣に問い詰めて初めて「生」を考えることができるものです。つまり死生観について、当時の私は懸命に考え続けていました。そうした中で出会い、そして多大な影響を受けたのが新渡戸稲造先生の哲理、理論でした。そして、中でも雷に打たれたかのような強い衝撃を受けたのが、その著書である『武士道』だったのです。

実はそれ以前に非常に感動した書物として、十九世紀のイギリスの大思想家であるトーマス・カーライルの『衣装哲学』がありました。これは人生哲学を含んだ大変な名著ですが、私はそこで「永遠の肯定」という観念に触れ、人生の真の意義とは実践躬行にこそあると考えるに至りました。「躬行」とは簡単に言えば、良いと思ったら行うこと、つまり言行一致です。そしてそうした思想遍歴の中でたまたま手にしたのが新渡戸先生の『衣装哲学』の講義録だったのです。私はそれの持つ深みを知って感激しました。それ以来私は新渡戸先生に心から私淑するようになり、そしてめぐり合ったのが『武士道』の一書でした。

新渡戸先生の『武士道』は、「日本の魂」を外国人に理解させるためにアメリカで英文で書かれたもので、一八九九年に初版が刊行されるや、世界中で大好評を受け、国際社会にデビューしたばかりの日本の声価を一気に高めています。アメリカのセオドア・ルーズベルト大統領がこれを読んで大感激し、数百冊を購入して世界各国の要人に一読を薦めていた話はよく知られていますが、高校時代の私にとってこの書は、まさに『衣装哲学』を止揚(アーフヘ―ベン)するものであり、死生観に関する私の疑問に明快な解答を与えてくれるものでした。例えばここに出てくる本居宣長の「敷島の大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花」や、吉田松陰の「かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂」といった和歌などは、人間は死んだ気になって全力疾走すれば、どのようなことでも成し遂げることができるということや、「生きるための死」というものを私に教えてくれました。

『武士道』で新渡戸先生は、武士道の徳目としてまず「義」を挙げています。「義」とは一言で言えば卑劣な行動を忌むということです。そしてそれは個人や「私」的なレベルに閉じ込めるべきものではなく、必ず「公」のレベルにまで引き上げて受け止めなければならない観念です。

そして次は「勇」です。「勇」は「義」と密接に結び付くもので、義のためではない勇気など全く価値がありません。昭和天皇の「降り積もる雪に耐えて色変えぬ松ぞ雄々しき人もかくあれ」の御製などは、まさにこの「勇」と「義」を止揚するものにほかなりません。更には愛である「仁」があります。そしてそれと密接に結び付くもの、つまり他人の感情を尊敬することから生じる謙虚、慇懃の心である「礼」があり、「礼」には絶対不可欠なものとして「誠」を挙げています。そして日本人が人倫の最高位に据えてきた、名誉の掟というべき「忠」があります。このような徳目が不即不離のものとして渾然一体となったものが武士道であると新渡戸先生は説いているのです。

私は『武士道』を読み、日本人の、あるいは人間の気高い生き方を学んだのでした。総統として新たな台湾の国造りを進める中でも、『武士道』で学んだ徳目は常に私を支えてくれていたのでした。

武士道という言葉が一般に定着したのは実は明治時代後半のことで、新渡戸先生の『武士道』の刊行などは、その契機になっていたようです。もともと「武士道」なるものが形成されたのは江戸時代のことです。天下泰平の世においてサムライの戦闘精神が文化的に形式主義の磨きをかけられたものがそれでした。これに対して新渡戸先生の『武士道』が説くところのものは広義の武士道とでも言うべきものです。つまり副題に「日本の精神」とあるように、武士を中心とする日本人の精神一般についてなのです。

世界に誇る日本精神の結晶というべき武士道の形成について新渡戸先生は、日本で営々と積み上げられてきた歴史、伝統、哲学、風俗、習慣があったからこそだと言っています。もちろん武士道の淵源の一つとして中国の儒教の影響も挙げられますが、実際は中国文化の影響を受ける以前からの、大和民族固有のものだと論じています。死生観の上から言えば、儒教には「死と復活」という契機が希薄で、物事を否定するという契機がありません。だから儒教は「生」に対する積極的な肯定ばかりが強くなるという危険を孕むものです。善悪を定めた道徳ではありながら、死生観をはっきりさせていないため、人間個々の生きる意義と、そこに建てられる道徳との間にかなりのずれが生じているのです。儒教は「文字で書かれた宗教」とも言われ、所詮は科挙制度とともに皇帝型権力を支えるイデオロギーでしかなく、空想の理想社会を語るだけで人民の心に平安をもたらすものにはなりませんでした。そのようなものを大切に推し戴いてきた中国人は、結局空虚なスローガンに踊らされ、それで満足してしまう、あるいは面子ばかりにこだわり何の問題の解決もできないばかりか、かえって価値観を錯乱させてしまう訳です。

新渡戸先生はクリスチャンです。彼は士族出身でもあり儒教的な教養を積んできた訳ですが、結局は儒教における死生観の不在から、キリスト教に道を求めたのではないかと思います。そしてキリスト教という新たな道徳体系の下で、武家時代の物理的かつ現実的な権力を維持するための狭義の武士道ではなく、精神的かつ理想的な生き方を追求するためにある、しかも未来永劫に通じる道徳規範としての、広い意味での「武士道」の価値を再発見したのです。彼によって再発見された「武士道」は、日本人の不言実行あるのみの美徳であり、「公」と「私」を明確に分離した、「公に奉じるの精神」とも言って良いでしょう。もちろんそれは中国文化とは全く異質のものです。ここで注目すべきことは、この「武士道」には教義も成文法もないということです。あるものと言えば有名な武士や学者のわずかな格言などだけなのですが、これは一体何を意味しているかと言えば、つまりそれほどまでに「武士道」が、すでに日本人の血となり肉となって定着していたということでなのでしょう。

新渡戸先生はかつて台湾総督府の農業指導の技官として台湾の製糖業などの発展に尽くされた台湾の近代産業振興における最大の功労者の一人でもあるのですが、彼自身、当時は見事なまでに武士道の精華を放っているのです。新渡戸先生は台湾に来られる前は札幌農学校の教授でしたが、健康状態が相当悪く、療養のためアメリカに滞在していました。そこへ台湾の児玉源太郎総督と後藤新平民政長官から招聘されたのです。それは日本の台湾統治が開始してまだ五年目の一九〇〇年のことでした。技官というのはせいぜい地方の課長です。それでも彼は、国家のために「義を見てせざるは勇なきなり」との武士道精神で従容としてこのポストに赴いたのです。そしてひとたび現地入りした後は、まだまだ近代建設すら行われていなかった台湾の経済的自立を実現すべく、滅私奉公で邁進したのです。地位の高い低いではなく、「実際に何をやったか」が彼にとっては重要だったということでしょう。

新渡戸先生がまず台湾島内を周った結果、着目したのが製糖産業でした。そこで砂糖の品種改良、栽培法、加工法に関する「精糖改良意見書」を書き上げます。それに基づいて臨時台湾糖務局が開設され、彼はその初代局長に就任しました。そして数年の内に台湾の砂糖の生産高は三倍になりました。それまで外国からの輸入に頼っていた日本国内の砂糖の需要も、これで完全に満たされるようになりました。彼は在台三年目で京都大学教授となり、台湾を離れたものの、一年に一回は台湾に戻って指導を続け、その結果台湾の製糖業はますます発展し、台湾は砂糖王国と呼ばれるまでになります。生産高の向上は、昭和初年の時点で世界最大のハワイに迫るほどの勢いでした。私が旧制の京都大学に進んで農業経済学の分野に生涯を捧げようと決意したのも、そのような新渡戸先生の気高い奉仕精神に傾倒していたからにほかなりません。総統就任後も、私の政治哲学や言動を支配していたのは「新渡戸精神」だったという気がします。

日本統治下の台湾近代化で、武士道の精神を発揮したのは何も新渡戸先生だけではありません。先日私が慶応大学での講演で紹介するつもりだった八田与一氏にしても同様です。八田氏は東洋一の灌漑土木工事を行って一万五千キロの水路である嘉南大土川を完成させ、台湾に広大な穀倉地帯を現出させた土木技師です。彼は抜群に優秀な技術者だっただけではなく、人間としても非常に優れた人物で、階級や人種で人を差別せず、常に農民の生活を思いやっていました。彼のそのような思いの中には、日本の伝統的価値観である「公議」、つまり「ソーシャル・ジャスティス」があったのです。このような日本人官吏の「公に奉じる精神」は、下は学校の教員に至るまで、普遍的に持たれていたというのが事実なのです。私たちの世代の台湾人が親日的といわれるのも、当時日本人が台湾のためにいかに献身的な努力を払っていたかを知っているからです。

それであるからこそ私は、終戦後における日本人の、価値観の百八十度の転換を非常に残念に思うのです。今日の日本人は一刻も早く戦後の自虐的価値観から解放されなければならないと思うのです。そのためには日本人はもっと自信を持つことです。かつて武士道という不文律を築き上げてきた民族の血を引いていることを誇るべきなのです。そうすることで初めて、日本は世界のリーダーとしての役割を担うことができるのです。

次に台湾精神について述べてみましょう。台湾精神と言ってもそれをどのように定義するかはなかなか難しいことなのです。戦後の台湾は久しい間、中国大陸から渡ってきた国民党政権に統治され、その間中華世界の伝統的な政治システムである皇帝型権力構造が持ち込まれています。中国の政治文化はあくまで政権の維持と強化のための文化ですから、法治ではなく人治であり、「公」と「私」の区別は不明確です。「中国化」の政策の下、そのような価値観が台湾人に押し付けられ、その結果社会には腐敗が蔓延し、人々のモラルも著しく低下しました。

そこで私は総統に就任後、民主改革を推進したのです。台湾における民主化とは単に自由と民主の問題だけではなく、自ずと台湾のアイデンティティという問題も招来するものなのです。なぜなら台湾人は歴史的に自分たちの政権を持ったことがなく、この国の主人公であるという意識が必ずしも充分に育っていなかったからです。それまで台湾人の国民精神と言えば、中国人のそれであると極め付けられていましたが、アイデンティティを考える上で、当然台湾人独自の文化、精神とは何かを振り返らざるを得なくなりました。

台湾の民主化の過程において注目すべきは、台湾人社会が人治から法治へ比較的に整然と移行していることです。法治社会の実現には、人々の間に遵法精神があることが必須条件となりますが、台湾人はそれを日本統治時代に身に付け、戦後の人治社会の価値観に完全には染まっていなかったのです。大陸の中国人であるならば、まずは遵法の精神とは何であるかから始めなければならなかったでしょう。

台湾は周りを海に囲まれた島国であり、閉鎖的な大陸とは明らかに異なる、海洋国としての歴史コースを歩んできました。東アジア航路上に位置することから、早くから貿易中継基地として繁栄もしていました。原住民であれ台湾海峡の荒波を渡ってきた漢人の移民であれ、海洋的色彩の強い文化を持っていたということは容易に推測できます。同じ海洋国家である日本の文化が台湾に入ってきた時、台湾人は瞬く間にそれを吸収しましたが、それに反して中国の大陸文化が結局根付かなかったのもそのためではないでしょうか。また山岳、平地の原住民も諸種族に分かれ、漢人の移民も言語はさまざまであるように、複数のエスニックグループが存在します。また西洋や日本などを含むさまざまな外来政権から文化的影響も受けてきました。そのほか、台湾の社会が開拓移民によって発展してきたことも忘れてはなりません。

こうした歴史的要因から、台湾の文化は多様的かつ多層的なものとなったのです。同時に人々には進取、冒険の精神、克苦奮励の精神が旺盛となりました。台湾人は頑張るという意味である「打ピィア 」(パーピィア)という言葉を好みます。この「打ピィア精神」が今日の台湾の繁栄を支えていることは疑いない事実です。また「武士道」を尚武の精神として捉えるなら、タイヤル族に代表される原住民にもそのような伝統はありました。大東亜戦争において台湾原住民の高砂義勇隊が見せた勇猛精神、自己犠牲の精神はよく知られているところです。更に言えば、よく指摘される台湾人の「日本精神」(リップンチェンシン)ですが、これも台湾精神の重要な一つだと言わなければなりません。これは日本統治時代に台湾人が学び、ある意味では純粋培養されたとも言える勇気、勤勉、奉公、自己犠牲、責任感、遵法、清潔といった諸々の良いことを指すものですが、実はこの言葉が人口に膾炙したのは恐らく戦後からで、中国からきた統治者たちが持たないところの、台湾人の近代的国民としてのこれら素養、気質を、台湾人自らが誇りを以って「日本精神」と呼んだのです。この台湾に根付いた「武士道」としての「日本精神」があったからこそ、台湾は戦後の中国の大陸文化に完全に呑み込まれることがなかった、抵抗することができたとも言えますし、それがあったからこそ戦後の近代社会が確立されたとも言えるのです。このように考えれば、「武士道」というものは、台日を含むアジアの近代建設の原動力であったことが理解できます。

しかしやはりそれでも戦後の台湾は、中国文化による悪弊を免れることはできませんでした。社会では公私の混同や実利主義の横行、モラルの低下といった悪弊が蔓延し、大きな問題となっています。それにはやはり中国化政策の中での台湾のアイデンティティの喪失が大きく影響しているのです。それは日本の終戦後の自己否定つまり伝統文化の否定からくる価値観の混乱と全く同じ状況なのです。精神的な伝統や文化の重みを理解しようとせず、皮相的な進歩ばかりに関心を集中するのは現代社会の通弊だと言うこともできます。そこで私は総統の時以来、積極的に「心霊改革」を提唱してきました。心霊とは精神のことで、それを変革することによって社会を古い枠組から脱出させ、そして新しい発想で新しい活力をどんどん生みだそうということです。これは政治改革よりも更に困難なことです。知識人には「理性」ばかりで「実践」が見られない、つまり理屈ばかりをこねて一向に行動を起こさない傾向が目立ちますが、この改革はまず実践あるのみなのです。

そこで新渡戸先生の『武士道』です。私は「公」の精神を主軸に台湾人のアイデンティティを確立していくためには、この一書をテキストにするのが一番良いと考え、実際これを用いて台湾各界の人々に「公」と「私」の問題を語っているところです。そのようにすることによって、かつて日本の武士道に学び、現在も台湾人の心に潜在しているはずの台湾精神を呼び戻せるはずだと考えているのです。同じように日本人に対しても、あらためて武士道を見直し、かつての民族的な自信、誇りある日本人のアイデンティティを取り戻して欲しいと思うのです。

私は余生を台湾に捧げることを決意しておりますが、それと同時に日本を励ますことも、自らの使命だと考えているのです。私はかねがね奥の細道を歩きたいという希望を語ってきました。それは芭蕉の『奥の細道』に表わされているわび、さびこそ、日本人本来のうるわしい心情であり情緒だと思っているからです。私はいつの日にか日本の人たちとそこを訪れ、そうしたものを一緒に再確認できたらと楽しみにしているのです。

これを以って私の講演を終らせてもらいます。ありがとうございました。
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