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阿貴(アークエイ)。かくすればかくなることと知りながら、やむにやまれぬ大和魂。

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許国雄博士三つの業績李登輝/台湾前総統2003/02/21

許国雄博士三つの業績
2003/02/21
李登輝/台湾前総統


李登輝氏「許国雄博士三つの業績」の一文は、許国雄著『台湾と日本がアジアを救うー光は東方より』所收の「推薦の辞」です。

台湾中華民国の行政院(内閣)僑務顧問許国雄博士が亡くなられてから、はや半年になる。平成十四年(二〇〇二)六月八日に高雄市で執り行われた葬儀には七〇〇名もの人々が集まり、博士との別れを惜しんだ。私は、所用のため当日の出席こそかなわなかったが、葬儀委員会の榮譽主任委員に就任し、「懐主息榮」と揮毫した扁額を贈った。私は、博士の急逝を心より悼んでいる。

許国雄博士は、私と一年違いの大正十一年(一九二二)年の生まれである。そして、私と許博士は、時期や直接の動機こそ違うが、やはり共に蒋経国総統(当時)の誘いで中国国民党へ入党することになり、与党-国民党の中で、台湾中華民国のために働いてきた。

許国雄博士の生前の功績はいくつもあるが、そのうち三つを掲げたい。

まず、その一つは米国の民主党との強い友好関係を持っておられたことであろう。台湾中華民国の多くの政治家は、共和党とのパイプを持っている。それは、どちらかと言うと共和党が大陸の北京政府に対して強硬な姿勢を示しているからである。だが、米国は二大政党で、常に民主党が共和党と同程度の勢力を持っているのだから、民主党とのパイプが重要であることは言うまでもない。許博士は、ジミー・カーター氏、ビル・クリントン氏といった民主党出身の大統領経験者とも個人的な付き合いがあり、特にカーター氏は台湾関係法が成立した際の大統領だから、台湾にとって非常に重要な人物である。同法成立について許博士の果たされた役割は決して小さくない。

次に二点目は、東方工商専科学校(現東方技術学院)を創設されたことである。博士がそこで学生達を熱心に指導されたことは勿論であるが、学校自体もとてもユニークで、キャンパスには孔子像やキリスト教会や日本間があった。日本間には神棚まであったので、日本でも盛んに紹介され、日本人からはすっかり有名な学校となった。この学校の存在が、日本人の台湾への関心を高める大きなきっかけの一つになったことは事実である。

そして三点目は、日本との民間外交の推進であろう。

一九七二年、日本は大陸の中華人民共和国を承認し、台湾の中華民国政府と断交した。しかし、博士はその直後から、政府間では不可能な民間交流を次々と開始し、日本との強いパイプを構築、維持してこられた。博士の手掛けた交流は、歯科医学、教育、政治等々実に多岐に渡り、各方面で日本における台湾の存在を強く印象付けることに成功している。当時は、まだ台湾は戒厳令下で、国民党の中にも反日機運の高かった頃である。想像を絶する困難の中で、意義ある仕事を成功に導かれた博士に、心からの敬意を表したい。

許博士の日本人に対する印象が、いかに強かったかを物語るエピソードを一つだけ紹介しよう。

私の総統時代、日本の国会議員からたくさんの年賀状が総統府へ届いていたが、私が総統を辞めた後、日本の先生方は送り先がわからなくなってしまった。すると、これら国会議員からの私宛年賀状が今度は許国雄気付けで台湾へ送られ始めたのである。毎年五十枚もの私宛の年賀状が、許博士の自宅へと届けられた。博士は、それらを一枚ずつ別々の封筒に入れて書留で私の方へ転送してくれたのである。

許博士は、台湾の国民大会代表(国会議員)を一六年間務めていたこともあって、日本の国会議員との関係も深かった。日本の国会議員にとって、台湾の窓口は何でも許博士だと思われていたのだろう。

政治家だけに限らない。許博士は、日本で最も多くの友人を持つ台湾人の一人であった。そして博士は、それら友人のために、亡くなる直前まで、日本での講演や各種の交流大会の準備に奔走されていたのである。

今日、日本では観光、出版等の分野で一種の台湾ブームの感があるが、これらの背景には許博士のような人の地道な努力のあることを我々は決して忘れてはなるまい。

本書は、許博士が生前に出版を目的として執筆された文章をまとめたものである。日台の歴史的結び付き、今後の両国の進むべき将来について、非常にわかりやすく書かれており、台湾問題の専門知識がなくとも読むことができる。また、台湾問題に詳しい人が読んでも絶対に退屈しないスリリングな内容である。

本書には、博士が伊勢神宮を参拝して「日本のふるさと」を感じられたことを記してあるが、松尾芭蕉の「奥の細道」を読んで、日本人本来のうるわしい心情と情緒を感じていた私は、これに大いに共感するところがあった。そして、「奥の細道」を訪ねたい気持ちが益々強くなったのである。

この本を通じて、許国雄博士の志がより多くの人々に知られ、日本と台湾中華民国の友好が末永く結ばれることを願って止まない。

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